諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

ドク、ドク、ドクターの傲慢さか?

お題「わたしの癒やし」

 

 今日は晴れ時々曇り。

 

 今朝、真っ赤に咲く、熱帯東アフリカからイエメン原産の「ペンタス」に心奪われた。色鮮やかな美しい花を見ていると、心が和む。

 

 ジェネリック服用の副作用のせいか?、当初は5分に1度の頻尿だったのが、服用を止めた今、多少落ち着きを取り戻しつつある。とはいえ、とても外出できるような状況にない。

 あれほど、新薬を要望し続けていたのに、最後には、ドクターから「新薬はない」と言われて、ジェネリックを服用したためこのような結果になったのかと思うと、憤懣やるかたない。

 その他に、後で判ったことであるが、コレステロールを下げる薬も、いつの間にかジェネリックに変えられていた。これも薬名(クレストール)を指示していたのに、である。説明等の適正手続きを経ないのは、傲慢としか言いようがない。

 

 医師法1条の4第2項には「医師は医療を提供するにあたり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう努めなければならない。」と規定しており、それを受けた厚労省の「診療情報の提供等に関する指針の策定について」の7つの指針がある。

 その中の指針➃で「処方する薬剤について、薬剤名、服用方法、効能及び特に注意を要する副作用」の説明義務を課している。

 それなのに、である。

  そしてこの規定に違反した場合には、診療契約上の債務不履行として損害賠償を請求することも可能となる。

 

 例え、厚労省ジェネリック65%宣言(総収入)があったにせよ、患者の自己決定権を無視した国の命令は、あり得ようはずもない。当該医師はもっと医師法を勉強する必要があるのでないか。民間官僚としての務めを果たそうとする気概は伝わるも、医師法に違反することまでする必要はないだろう。

https://www.kokusen.go.jp/research/pdf/kk-201912_3.pdf

 

 まあ、このことからも、これまではジェネリック要望の有無を事前に患者に尋ねていたのが、患者が何も言わなければジェネリックを処方する可能性が極めて高くなる。さらに、患者が新薬を要望していても、新薬か否か知らないのを奇貨として、知らぬ間にジェネリックを処方される可能性がないわけではない。

 まさに、シレッティズム全盛の時代である。

シレッティズムの隆盛に!(>_<) - 諦観ブログ日記(2024年6月12日)

 これに対する違反防止として、例えば「目安箱を用いるのも一方法であろうか。

 

 では、そんなドクターの傲慢性はどこから生まれて来るのであろうか?

 それは、次の過去記事に書いたような事情があるのでないかと推察している。

他人(ひと)の不幸を生業(なりわい)にする職業3選について - 諦観ブログ日記(2019年2月19日)

 

 傲慢さ主の典型は与党政治家や官僚であろうが、町中のドクターも弁護士や僧侶同様に、民間官僚として機能して来た側面もある。昔から「名士」と言われていたからである。ただ、昔は義理人情華やかりし時代であったため、傲慢さを見えにくいものにしていた。しかし、義理人情が廃れ、経済的合理性の追求が高度になるにつれ(第2次安倍政権)、傲慢さが浮き彫り化したのである。

 

 このようなことがあってから、ジェネリック服用の被害に関するX(旧Twitter)の投稿を探してみた。そして、次のような有益な投稿3点を見つけた。

 

 最初は、ジェネリック服用の副作用?指摘のSNSである。

 

 次は、医師本人はジェネリックを服用しないというSNSである。このことは、前回紹介した医師の「和田秀樹&木村盛代」さんのユーチューブでも指摘されている。

 奇しくも、昔、所謂「荒れる公立学校」には、官僚の子供を入れなかったのと似たような様相を呈している。国民奉仕の官僚が「自分たちは別物」として振舞っていたのは、傲慢さからくる何物でもないと言わざるを得ない。

 

 最後は、医薬品副作用被害救済制度についてのSNS案内である。被害の相談場所も記載されている。