諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

街のカフェ(喫茶店)倒産急増に、思いを致すと!

お題「わたしの癒やし」

 

 一昨日、昨日と曇り時々晴れ。今日は曇り一時雨。

 

 今日はこれまでと違って風もあり、やや過ごしやすい一日となっている。台風6号の影響である。

 

 8月に入ってからは、モズの姿が見られなくなった。山へと帰ったのであろうか?

 モズのネタが途切れると、主要な記事ネタがなくなり、ブログ記事がなかなか書けない。仕方なく、最新のニュースから過去記事を拾って、記事を書かざるを得ないか。

 

 8月以降これまでに目撃したものは、満月やヒヨドリを除き、以下の写真(Ⅹ投稿を含め、5枚)のとおりである。しかし、これらは主要な記事ネタになり難い。

(やや西方に傾いた月。8月6日早朝撮影)

(満月と比べて、より大きくなった東方に位置する月。8月4日夜撮影) 

(スプリング・ジャパン機。8月5日夕方撮影)

(地面落下のアブラゼミ。8月3日撮影)

 

 そんな中にありながら、昨日は、次の「街のカフェ店倒産急増」の記事を目にした。

コロナ禍を超える過去最悪のペースで倒産が増えた“街の喫茶店” - シニアガイド

 この記事によれば、その理由は、原材料、特にコーヒー豆の高騰が影響しているとのこと。そのため、経営体力が乏しくかつ値上げできない「中小零細店」がその犠牲になっている模様である。

 

 約4年前、次の記事を書いた時は、価格等の点で、中小零細店が大型チェーン店やコンビニのコーヒーに太刀打ちできずに、その多くが潰れることを余儀なくされていた。

「街角喫茶店(カフェ)文化」の変容について(雑感) - 諦観ブログ日記 (2019年9月20日)

 加えて、全労働者の40%近くにも増大した、生活に余裕のない非正規労働者の存在の影響も否めないだろう。

 

 その後、淘汰されることを何とか凌いでいた「中小零細店」も、以上の理由に加え、コロナ禍の影響、さらには今日、コーヒー豆等の原材料や電気代の爆騰により、より一層苦境に陥っている。

 今や、街角喫茶店文化は危急存亡の時期を迎えており、やがては消滅しそうな気配を醸し出している。それはとりもなおさず、昭和レトロな面影(庶民文化としてのノスタルジックな癒しの空間)の終焉を意味する。

 

 ここにも、令和における「昭和は遠くになりにけり」の一局面が、看取されようか。

「昭和は遠くなりにけり」の意味するものは? - 諦観ブログ日記(2021年4月29日)

 

 最後に、イタリアの歌手「Riccaldo Fogliリッカルド・フォッリ)」が歌唱している、次の2曲を紹介して本記事を終える。

 ❶ 「Malinconia」(1981年)

https://www.youtube.com/watch?v=6asKp7mp2aE

https://www.youtube.com/watch?v=E85M70M2rTA

 ❷ 「Storie di tutti i giormi」(1982年)

https://www.youtube.com/watch?v=3GooYnEXWPk

https://www.youtube.com/watch?v=3FOYEHrCCT8