諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

「街角喫茶店(カフェ)文化」の変容について(雑感)

 お題「コーヒー」

今週のお題「理想の老後」

 

 今日は晴れ。日射も強くなく、「今はもう秋!」。

 それにしても、9月も終盤に差し掛かるのに、なぜか、5、6羽の「ツバメ」が田んぼの上を、未だに飛んでいる(早く南の国に帰らなくて良いのだろうか?)

 

 玄関前の田んぼの稲刈りは終わっていた。なぜか、畔際には刈り取られないまま、僅かだが稲穂が残されていた(末尾写真)。

 雀への「おすそ分け」なのであろうか?いや、そんなことはないだろう。おそらく、畔際なので、コンバイン(クボタ)で刈り取れずに残ったままなのであろう。

 

 

はじめに

 

 今週のお題は、「どんな老後を過ごしたい?」である。この質問に対しては、当然、人生終盤だから、好きなことをして楽しい余生を過ごしたいと答えるのが、通常人から発せられる一般的な言葉であろうか。しかし、果たして現実として、そのような余生を送ることができる人が、どれほどいるんだろう?

 

 ことに、昨今、社会情勢の急変甚だしい中(非正規労働者増大等による階層二極化)にあって、かっての牧歌的な「一億総中流社会」の時代は終焉を迎えている。しかも、今や、年金だけでは生活のできない人々が急増し、今後、その割合も増加の一途を辿るであろう。昔よく言われた「悠々自適の老後」は期待できない人が多くなろう。「死ぬまで働け」と言うことかと批判する人もいる。

 

 現に昔は数多く流行っていた高齢者の「ゲートボール」等をする姿も、公園等にて、お目にかかれない。その代わりに、高齢者が年下の中年からこき使われ、怒鳴られている工事現場やスーパーマーケット(その後閉店)等での残酷な様子が数多く目撃されている。

 

 そのようなこともあって、当然、将来の生活向上好転への見通しは、一部の人を除き、ほぼ皆無であろう。政府も70歳まで働くことを念頭においている。確かに、好きで、楽しい仕事であれば大賛成であるが、おそらく多くの人は、肉体的にも精神的にも、辛く苦しい労働を強いられる仕事に就かざるを得ないことが想定されよう。

70歳まで働く人のため 政府、企業に支援義務化の方針:朝日新聞デジタル

「『70歳雇用』で働き方はどう変わる?」(時論公論) | 時論公論 | 解説アーカイブス | NHK 解説委員室

 

 そんな世知辛い世の中の状況下にあって、いや、それだからこそ、今後共、人々に癒しを与える空間の重要性がますます高まってくるであろう。そして、そのような空間形態の一つに「街角喫茶店(カフェ)」の存在があるように思われる。

 

 「コーヒーと音楽」好きである「おいどん」にとっても、社会人に出立ての頃、喫茶店(カフェ)はなくてはならない一時の癒し空間であった。できれば将来、そのような場所で、例えば「歌声喫茶シャンソン・フォーク等)」関連の楽しいこと(自作曲)に携われることができればと思ったこともある。今もその願望はある。しかし、なんせ、田舎(現在「トカイナカ」に変貌中)に住む者にとって、現実としては、夢の又夢である。

 

 今回は、かって大盛況を博していた「街角喫茶店(カフェ)」のことについて、いろいろ考えてみたい。

 ところで、ここで題目として扱う「街角喫茶店(カフェ)」とは、大規模なチェーン店等を除く、昔風の中小零細自営業者(家族的経営)が営むレトロな小さな喫茶店(カフェ)を指すものとする。また、「喫茶店」と「カフェ」との間には相違がある(後述)ものの、コーヒーを嗜む癒しの店舗空間を主命題とする趣旨から、括弧つけをして、一括りにした。

 

「小さな喫茶店(カフェ)」の存在意義

 

 「小さな喫茶店(カフェ)」は、各種の週刊誌や新聞を読んだり、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、又は仲間内等のコミュニケーションや「モーニング(朝食)」に代表される食事処として、その有用性が見出されて来た。特に、独り身にとっては、都会(中小都市を含め)砂漠の中で、「癒しの空間(オアシス)」でもあった。

 

 喫茶店(カフェ)事情については、後掲ブログ記事に詳しく書かれているので、これを参考資料にして考えて見ることにする。

 これによると、飲食提供は営業形態上の区分は「喫茶店」でなく、「カフェ」という。そうすると、「おいどん」が主に利用していたのは「カフェ」であったのか。

 

 当時は、今もそうであるが、そのことは、喫茶店経営者か、又は喫茶店の由来に興味がなければ分からないことである。今思い出すに、両者の店名があったような記憶がある。しかし、食事さえできれば、店名如何は無関心であった。

 多くの利用者にとっては、食事(特に、モーニング)ができて、コーヒーが飲め、一服のたばこが吸えれば、「喫茶店」であろうが「カフェ」であろうが、それらの名称にはこだわらなかったであろう。その上、「BGM」として音楽が流されて、心癒されていた。

カフェの定義とは?喫茶店との違いをイメージと法律からご紹介|UCCのカフェ開業支援

 

茶店事業所数の大幅減少

 

  それにしても、後掲ブログ記事によると、4月13日「喫茶店の日」とは、知らんがったがな!

 残念なのは、「1970年代歌謡曲名や歌詞名で頻繁に使われた『喫茶店』という言葉が死語になりつつある」らしいとの話を聞いてびっくりひゃっくりであるそのことは、スタバドトールというチェーン店の台頭がもたらしたのと何か関係があるのだろうか?

 

 そんなこともあってかどうか知らないが、1966年12万7,026店(過去最多の1981年は15万4,630店、1991年は12万6,260店)あった喫茶店の事業所数(「カフェ」も含むのかは明確でない)が、2014年には6万9,983店(2016年は6万7,198店)と、33年の間に55%と急減し、現在はさらに減っているだろうとのことである。しかし、スタバやドトール等の大型チェーンは店舗等を増やしていることから、大幅な減少は、昔ながらの純喫茶タイプの店が、その原因と推測している。

 

 さらに、上記チェーン店に加え、低価格等のコンビニファーストフード自販機の缶コーヒーの普及もも競争相手になっているとのことである。それも、コーヒー市場が今も成長拡大をし続けているのにと!

 この記事では、「昔ながらのレトロな喫茶店の新たな取り組みに期待する」とだけで終わって、その取り組みの将来的展望工夫例が具体的に提示されていない。

  なお、次の記事は、2014年実施調査で、法人は8.8%増加も、個人経営は3.3%と減少し、法人割合の最多は東京都で53.3%、個人経営割合の最多は和歌山県の92.3%であったと紹介している。

民営喫茶店数 「個人経営」は減少する一方で「法人」は8.8%増加

 

街角喫茶店(カフェ)文化 の喪失要因は

 

 以上のことに関し、当時のことを思うと、「おいどん」にとっては、喫茶店(カフェ)利用の主たる目的は、「食事」「コーヒー」「喫煙」、又は「コーヒー」+「喫煙」であった。勿論、クラシックや歌謡曲等の音楽が、店内で「BGM」として流れているのを聴くのも一つの楽しみであった。

 

 その後、「カラオケ喫茶」が出現し、音楽を聴くことから「歌を唄う」ことを目的とした新たな業態が盛況を博した。そこには、「食事」&「飲み物(コーヒー等)」+「喫煙」というプライベート空間を伴った場所的提供という側面もある。この喫茶形態は、昔流行った「歌声喫茶」のように、「歌」がメインで、「コーヒー」+「洋菓子」提供の進化版とも言えそうか?営業形態として、「カフェ」に分類されるところが多数のように思われる。

 「街角喫茶店(カフェ)文化」の興廃を語る上で、「音楽を聴く」文化から「音楽を歌う」文化が新たに加わったことも、昔風の街角喫茶店(カフェ)文化の衰退化に一役買っているのだろうか?

  カラオケ喫茶開業とは

 

 ところが、時代も下り、「喫煙」が、健康を理由に世間から冷たい目で見られ、分煙さえも禁止される風潮になって来ている昨今、愛煙家の憩いの場所がなくなって来ているのも事実であろう。このことは、多数の利用者である愛煙家から喫茶店(カフェ)を遠ざけることになる。

 さらに中小零細事業者にとっては、ジャスラックの音楽著作権料徴収の影響により、気軽に、音楽の「BGM」すら流せない状況が作出されている。

 「BGM」による癒しの空間が阻害されているのである。このことは、音楽の心地よさを求めて、喫茶店(カフェ)を利用していた人々をも遠ざけることになる。

JASRACにBGM利用申請相次ぐ、訴訟影響か(1/2ページ) - 産経ニュース

 

 確かに、「食事」+「コーヒー」については、コンビニファーストフードの隆盛も街角喫茶店(カフェ)の衰退化に影響してる。しかし、そこは、憩いの場所となっていそうもないので、あながち、多数の利用者を遠ざけているとみるべきでないと考える。

 

 コーヒー消費量は減っておらず、むしろ拡大しているのに、街角喫茶店(カフェ)が衰退化している一つには、上記に掲げた理由とともに、やはり、多数の低賃金非正規労働者(全労働者中約4割も占有)の増加により、安価なコーヒーを求めたのが大きいものと考えたい。つまり、人々にゆとりが持てない時代へと変貌して行ったのである。

非正規雇用の割合は37.3%と高水準 : 定年後も働く高齢者が増加 | nippon.com

 

 この点について、次の記事は、専門家の立場からの見解として、「消費者の舌が肥えた分、原材料や抽出技術にこだわった店舗だけが生き残っている」と説明しているが、果たしてそれだけが原因でないように思われる。なぜなら、利用者すべてが、「コーヒー通」ばかりではないからである。

珈琲の消費量拡大も 平成の30年間で国内の喫茶店が半減した理由 - ライブドアニュース

 

 当然、上記専門家の意見を否定し得ないものの、むしろ、街角喫茶店(カフェ)減少の大きな要因は、上記の社会的状況の要因が大きいように思われる。街角喫茶店(カフェ)が憩いの場として機能しにくくなったこと、そして、利用者に金銭面を含めてゆとりがなくなったことへの社会的な阻害要因が大きいと考えるのである。

 

 つまるところ、現代人にとって、多忙で、一息つける憩いの場所がなくなって来ているのである。その中でも特に、昼休みすら満足に取れない、又は長時間労働ブラック企業の横行や、非正規労働者の時間単位制の労働低賃金の増大等のゆとりが与えられない社会状況の現出が影響しているように思われる。

 

 このことはさらに、次の記事にもあるとおり、消費増税等により、店を畳む自営業者の存在を見落としてはならないだろう。

消費増税前に価格転嫁難しく小規模店は廃業検討も | NHKニュース

コーヒーに異変! 数年後…安く飲めなくなる? - 特集ダイジェスト - ニュースウオッチ9 - NHK

 

 以上述べて来たことに関し、東京商工リサーチは、次の「喫茶店」の倒産状況という標題に、その分析記事を載せている。

 2019年(1-8月)「喫茶店」の倒産状況 : 東京商工リサーチ

 

街角喫茶店(カフェ)文化 の再生は

 

 次の記事は2014年と少し古いが、「昭和レトロな喫茶店がなぜ、続々復活中なのか?」との話が掲載されている。ここで取り上げられているのは、「コメダ珈琲店」「星乃珈琲店」「上島珈琲店」である。しかし、それらの運営者は業界の大手企業であり、家族経営的自営業者とは別物である。これらはいずれも、コーヒーの味は勿論だが、それより、むしろ外見を昭和風に工夫した成果だと思われる。

昭和レトロな喫茶店がなぜ、続々復活中なのか?【1】 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 

 思うに、街角喫茶店(カフェ)文化 の再生は、無機質な店舗運営の在り方より、有機質な店舗運営の在り方が重要であると思っている。企業経営であると、組織的に経済的合理性を企図し追求せざるを得ないので、どうしても前者のような運営方法に陥りやすい。しかし、家族経営自営業者にとっての強みは、企業運営との差別化を図り、有機質な店舗運営に拠り所を見出しやすい。そして、それしか再生・復活がないように思われそう。

 

 では、有機質的な店舗運営とはどういうものか?それは、「他人(ひと)と他人(ひと)とのつながり」を重視する地域共同体的発想の店舗運営である。ただ、コーヒーを飲むだけというだけの無機質な店舗運営でなく、プラス・アルファを付加するものである。

 プラス・アルファとしては、例えば、情報交換の場、アンケートによるお客からの要望聴取、他人(ひと)と他人(ひと)をつなぐキューピット役、客が望む芸(演奏又は歌等)披露の場所的提供、音楽著作権保護対象の期限切れとなった曲のBGM、資金に余裕があれば喫煙室を設けて分煙化を図る等々である。

 

おわりに

 

 現在は「街角喫茶店(カフェ)」に限らず、中小零細自営業者の経営は、大企業やその傘下にあるチェーン店に飲み込まれ、生きにくい世の中になっている。そもそも、これも、適者生存(弱肉強食)政策である新自由主義」のコロラリーであろう。

 

 大都会繁栄に対する地方衰退。大企業繁栄に対する中小企業の倒産。その波は、街角喫茶店(カフェ)にも弱者としての立ち位置が垣間見られる。しかし、だからといって、手をこまねいていたらやがて倒産(閉店)の憂き目になることは明らかであろう。

 

 その中で生き抜くには、やはり企業との差別化を図るしかないように思われる。昭和の時代の繁栄である「街角喫茶店(カフェ)文化」を取り戻すよすがは、「他人(ひと)と他人(ひと)とのつながり」を最重視するしかないようか。

 

 できれば、地方の街角喫茶店(カフェ)から、大都会に向けて何か発信できるものがあれば良いのだが・・・!Twitterやブログ等のSNSを通じ、又、口コミを通して、御当地喫茶店(カフェ)極めつけの、何か特色のある目立つPRものがあればより良いのだが・・・!

 でも、難しいことだろう!

 

 それにしても、もう一度、「リバイバル・ソング」でもよいから、❶コーヒーショップで、❷学生街の喫茶店、❸コーヒーはきらい、❹小さな喫茶店、等々の歌が流行らないだろうかな!(^^♪

 但し、中小零細自営業者(家族経営)には、特例として、音楽著作権料は無料にすることを前提とする。

 ところで、「JASRACから音楽を守る党」が設立準備中との朗報もあるとのこと。

Youtuber音楽家さん『JASRACから音楽を守る党』の設立準備中wwwww : はちま起稿

コーヒーショップで あべ静江 VideoClip 作詞:阿久悠・作曲:三木たかし 1973年 - YouTubeガロ 「学生街の喫茶店」 - YouTube

小さな喫茶店 島田歌穂&アルフレッド・ハウゼ楽団 UPG‐0142 - YouTube

ザ・ピーナッツ The Peanuts - 小さな喫茶店 - YouTube

小さな喫茶店 菅原洋一&梓みちよ UPC‐0098 - YouTube

 

f:id:grk1:20190920154622j:plain

 

(追記1)

 9月21日、曇り。

 「コーヒーと音楽鑑賞等」を絡めた喫茶店について、1960年頃、個人経営の店が主流となり、店主のこだわりを反映した「音楽系喫茶」が繁盛したようである。

 その具体的業態例として、歌声喫茶(灯)、シャンソン喫茶(銀巴里)、名曲喫茶クラシック音楽鑑賞)、ジャズ喫茶、、ロック喫茶、ロカビリー喫茶があったとのことである。

 そう言えば、上記に掲げた曲の他、喫茶店を舞台とした名曲に、「ピアノコンチェルトはもう聞こえない(作詞/るい、作曲/大塚博堂、1978年)もあったね!(^^♪

 この曲は、学生街の名曲喫茶にて、かって結婚を約束した恋人(歌詞2番の「二人揃いの指輪」のフレーズは婚約指輪か?)が、いつもリクエストをして二人で聴いていた「チャイコフスキー作曲のピアノコンチェルトは聞こえない」という悲恋話(または、「二人揃いの指輪は結婚指輪」であり、若夫婦の離婚による悲哀話も考えられなくはない?)を歌ったものである。

ピアノコンチェルトは聞こえない - YouTube

 

(追記2)

 9月22日、雨。

 35年後に夫婦に支給される年金は、月額13万円と試算も!(>_<)

 これでは、多くの人にとり、普通にやっていたら、「悠々自適な老後」を望むべくもない。そのためには、老後に備えて貯蓄等に励むか、死ぬまで働くかしかないようか?

 それは、政府の「人生100年時代構想会議」で、70歳どころか「80歳まで働くことを考える」という発言さえも飛び交っているからである。(>_<)

 会社の社長や政治家等の特権層ならいざ知らず、一般庶民(特に「肉体労働者」)にとっては、大変厳しく残酷のようにも!

 

(追記3)

 9月27日、曇り。

 「コーヒーブームなのに喫茶店が減っていく背景」について

 もともとカフェは開業も廃業も多い「多産多死の業態」、「3年もつ店は半数ともいわれる厳しい業界」との話がある。

 この点、確かに、コーヒーを飲む場所の多様化により、従来型喫茶店の採算悪化問題が根底にあろう。

 では、なぜそのようになるのだろう?

 やはり庶民層(労働者等)の暮らしぶりの悪化(低賃金や過剰労働等)により、暮らしにゆとりがなくなっていることが、大きな要因だと思いたい(1憶総中流化社会の崩壊)。

 

(追記4)

 9月30日、曇り。
 「街の喫茶店」衰退原因についての一見解について
 大手チェーンとの経営体力で劣るため、家賃や人件費の高騰、コンビニ100円コーヒーに太刀打ちできなかったのが衰退原因との見解について、これは大手チェーン店にも当て嵌まり疑問も。

 むしろ、街の喫茶店の方が自宅店舗等経営で利点が多く、又、人件費の点でも、多くが家族経営なので有利である。

 では、街の喫茶店が次から次へと姿を消したのは、いったい何故か?

 それは「経営のやり方がまずかった」ということ。つまり、市場の変化に対応できなかったことに尽きるとのことである。(-_-)

 しかし、それも多少あろうが、やはりそれだけではないような気がする。顧客ニーズに対応するにも限界がある。従来の見解に加えて、金銭や時間面等でゆとりのない人々が増加したことが大きいように思われる。