諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

「ヒバリ(雲雀)」の号泣小話

 今日は曇りのち雨。

 

 昨日、田んぼの畔で「ヒバリ(雲雀)」が号泣していた。その鳴き声の響きは悲痛にさえ感じられた。

 その様子の写真(1枚)は、次のとおりである。

f:id:grk1:20200518142750j:plain

 そこで、「ヒバリ」に成り代わり、その「ヒバリ」の気持ちになって、「おいどん」の勝手な推測話を試みた。しかし、それが当たっているか、それとも間違っているかは、当の「ヒバリ」に訊いてみるしかない。(*‘ω‘ *)

 

 その「ヒバリ」は、田んぼに溢れた水の方を眺めていた。その姿を見ると、「ヒバリ」のやるせない思いが伝わって来るよう。

 その様子の写真(2枚)は、次のとおりである。

f:id:grk1:20200518143959j:plain
f:id:grk1:20200518144032j:plain

 その後、「ヒバリ」はもう一度号泣し、茫然自失になっていたかのようであった。

 その様子の写真(2枚)は、次のとおりである。

f:id:grk1:20200518144452j:plain
f:id:grk1:20200518144532j:plain

 

 一昨日前までは、この田んぼの中で、餌探しやペア(つがい?)と仲良く過ごしていたのに、田んぼに水が張られると、それもできなくなった。しかも、この一帯での「揚げ雲雀」もできそうにない。

 これも、毎年のことと言え、これまでの快適な過ごし方を思うと、号泣しないわけには行かないだろう。居場所として、田んぼの畔だけでは、餌探しもままならない。さらに、居心地の良い安全場所とも言えない。

 広い雑草地こそが最適な安全場所である。葉隠れの術が使え、また、餌も豊富である。その上、繁殖場所としても申し分がない。それでこそ、縄張りを主張する手段としての「揚げ雲雀」が可能になるのである。ところが、今はその田んぼの雑草地がない。

 

 そう言えば、❶ペアールックのカップと、❷揚げ雲雀のそれぞれの状況が思い出させられる。その様子は、次の写真(2枚)のとおりである。

f:id:grk1:20200518151919j:plain

(一昨日の5月16日に撮影した「ペアルックのカップル」。前方の鳥がメスで、後方がオスか?)

f:id:grk1:20200518152157j:plain

(5月11日撮影の「揚げ雲雀」)

 この時のことを思い出すと楽しそうであった。それにしても、ペア(つがい?)の相方はどこへ行ったのだろう?いつの間にか、さよならしたのだろうか?

 今、その「さよなら模様」のことを思うと、涙が一層込み上げて、死にそうになる。

 

 そして、あんなこつ、こんなこつと物思いに耽っているうち、どこからか、次のような曲が聞こえて来たような気がした(-_-;)泣き出したくなるような歌であった。😪

 その曲とは、次のユーチューブ曲である。

https://www.youtube.com/watch?v=fDXHgsBLmI8

https://www.youtube.com/watch?v=MsJ78ZRA-GI

 1981年8月に、フォーク・ソング歌手の「伊藤敏博」さんが唄ってヒット(レコード売り上げ47.9万枚)した名曲「サヨナラ模様」(作詞・作曲/伊藤敏博、編曲/大村雅朗)である。(^^♪

 

  その歌詞の中には、「凍り付いた さよならが」~「冷たい風のせいなの」~「冬枯れ蔦のひび割れ模様」~「風に吹かれて 『サヨナラ』が枯れ葉の道を」との、名フレーズがある。

 ・・・あれ~!詩の内容をみると、この曲は冬の歌でないか!(^_^;)

 でも、歌の雰囲気は、冬であれ、春であれ、今の「ヒバリ」が置かれている状況にピッタシなんだが・・・!

 この点、曲が良ければ、唄う時期は関係ないと思いたい。