昨日までは晴天で暑いほどだったのが嘘のように、今日は曇天で風もあり、少し寒さを感じた。
「さくら」を題材とした写真画像等投稿の呼び掛けが、Twitterや「はてな」さんからあり、先だって、とりあえず近隣に咲いている桜の木を、橋の上から、デジカメで写真撮影した。
すぐ傍らで撮影した何枚かの「満開桜」の写真投稿は、10Mを超える高解析画像のためアップロードできず、記事に載せることができなかった。
ただ、少し遠方から撮影した「桜の木」の画像は載せることができた。
建物、電柱や電線に邪魔されて、風情があまり感じられないものとなっている。「満開の桜の木」をとりあえず撮影したということぐらいかな!
「さくら」を題材とした記事について、あまり風情を解することに縁のないこともあって、何を書くかは難しい。ストーリーが思いつかないのだ。
この写真を見て、道路の傍らに、大きな満開の「桜の木」が、ぽっつりとではあるが堂々と佇立しているか、ぐらいである。
せめて、トム・ジョーンズや森山良子が歌って大ヒットした、「思い出のグリーングラス」(作詞・作曲Curly Putman)の作詞の中に出てくる「樫の木」( oak)であれば、いくらかでも記事の題材になり得たのだが・・・。
男の死刑囚が、樫の木の下に埋葬されるまでに思い起こされた、懐かしい故郷時代の歌。この詞の中で、「さくら」にちなんだ件が出てくるのは、恋人Maryの「さくらんぼのような唇(lips like cherries)」である。
カントリー・フォークの最高傑作と思われる。
森山良子が歌った日本語作詞の山上路夫は、男を女にすり替えているのと、死刑囚の歌だとは思えないような作詞の仕方をしている。故郷に帰ったのを、待ちわびた恋人と両親が暖かく出迎えてくれる光景が、美しいメロディにより、有り有りと呼び起こされそう。勿論当り前だが、「さくらんぼのような唇」はない。
それでは、滝廉太郎作曲・武島羽衣作詞の「花」はどうであろうか。その花は「桜木」だから、まさに「さくら」である。しかし、そこで描かれている情景は、風情のある隅田川の豪華絢爛たる数多くの「桜の木」を描写する。
幼少時代は、詞の意味もうっすらとしか分からずに、歌わせられていたような気がする。音楽の教師から詞の意味の解説をしてもらった記憶もない。音楽は、詞の感情表現吐露の側面もあるので、大人になって、詞の意味を理解することが重要なことだと思うようになったのだが。
その点で、次のブログ記事は、作詞の解説をしているので参考になる。
この詞に出てくる「さくら」はとても、ぽっつりと佇んだ風の「桜の木」どころではない。
しかし、豪華絢爛ではなくとも、満開した「大きな桜の木」は、例え1、2本であっても、立派なものであると言いたい。
少なくとも最小限、「桜の木」の下で花見をするには十分だからである。
(追記)
「思い出のグリーングラス」について、次のユーチューブにあるトム・ジョーンズのライブは絶品である。これまでのレコードで聴いてきた数々のものとは、全く比べものにならない。このライブのハイレゾ版があれば購入したいぐらいだ。
森山良子は勿論、プレスリーやジョン・バエズが歌ったレコードのものより、はるかに心打たれる、