今日は晴れ。



(以上。今朝撮影)
はじめに
最近、中国時代劇ドラマ「大清總督于成龍」(通称/于成龙)という、YouTube海外版ドラマに遭遇した。
2017年の中国テレビシリーズ全40話、最高視聴率ランキングは最終話等で1位、同年9月精神文明建設優秀作品賞を受賞した、監督/呉子牛、主演/程泰申の中国ドラマである(中国ドラマ「千成龍(于成龙)」(2017年 40話))。
ところが、YouTube全40話すべては中国語で日本語の字幕もなく、さっぱりドラマの内容が分からなかったが、ところどころに不完全な日本語の字幕のある、切り抜きかも知れない動画が別個にあり、それでおおよそのドラマ内容を把握できた。
もちろん、googleで検索したブログ記事「一代の廉潔な官吏・于成龙_百度百科」をも参照してのことである。
韓ドラ「ホジュン」と中ドラ「于成龍」との類似性
このドラマは、韓国時代劇の金字塔を打ち立てた、韓国ドラマ「ホジュン 宮廷医官への道」に! - 諦観ブログ日記(2020年12月14日)と、ドラマで伝えたいことが大変似通っており、感動ものであった。
中国ドラマ「于成龍(ユー・チェンロン)」は清の康熙帝前半時代の地方高級官僚、韓国ドラマ「ホジュン」は宣祖・光海君時代(1600年前後)の上級医官で、いずれも実在の人物である。
両ドラマに共通するのは、
➀ 命を何度も失いかけそうになりながらも、清廉潔白振りを愚直までに発揮し直面する困難な境遇を克服してゆく並外れた才能の持ち主の物語、
② 経済的に困窮する領民又は患者目線に立っている、
③ 不正は絶対に許さない、
④ 清貧生活を心掛ける、
⑤ 康熙帝又は光海君の信頼が大変厚い、
⑥ 領民又は患者等からの尊崇の的になっている、
⑦ 両者とも最期は静かに眠るようにして亡くなっている(ホジュンは患者を診ながら針をもって、又、于成龍は多くの部下のいる前で、側近に訓示を述べさせている最中、上段の椅子に座り目を閉じて銅像のような恰好で亡くなっている)、等々である。
ただ、いずれも実在の人物とは言え、韓国ドラマ「ホジュン」がほぼ作り話(真っ赤な嘘)であるのに対し、中国ドラマ「于成龍」はその多くが歴史的事実に裏打ちされているであろう物語となっている(于の著作や逸話等から)。
しかし、時代考証ドラマではないので、脚色が多々あり、歴史的事実としてはあり得ない話もある。例えば、于成龍が康熙帝の許可を得ずに、皇帝の甥の将軍を法を犯した罪で斬首宣告する話である。
そしてこれに対し後に康熙帝が称賛する話も、当時の法的手続きとしては考えられないという見解からである。
韓国ドラマ「ホジュン 宮廷医官の道」は現代の医者すべて、中国ドラマ「于成龍」は政治家(公務員)すべてが必須に鑑賞すべきドラマである。というのも、悪徳医者や悪徳政治家(公務員)がこれらの両ドラマを鑑賞すれば、もしかして一掃されるかもしれないからである。(*_*;
于成龍(ユー・チェンロン)とは?
于成龍(ユー・チェンロン or ウ・セイリョウ/于成龙)は1617年~1684年までに生存した、山西省呂梁市出身(地主の家)の清の名臣。「世界初の誠実な官僚」として知られている。科挙試験の合格に失敗も、サブリストのトリビュート(副官候補)の生徒として試験には合格。
1661年(44歳)に広西チワワ自治区羅城の県令として初任官、やがて福建等の知事を歴任するも、両江総督在任中南京で病死(享年66歳)。公務生活は地方回り27年間、病死は最後の就任から3年前後のことであった。湖北や湖南等の地方官として治安維持や民生の安定に努めて来た。※
そのため、康熙帝(31歳)は彼を「実に天下第一の廉吏なり」と言って称えた。
なお、1681年(康熙20年)康熙帝は初めて于成龍と直接面談していた。
※ 中国の地域区分(https://www5.cao.go.jp/j-j/sekai_chouryuu/sa02-02/pdf/sa02-00-03.pdf)
于成龍の生きた時代の康熙帝とは?
では、このドラマで絶えず于成龍に理解を示し支援していた康熙帝とは、どういう人物であろう?
康熙帝は、世界史上トップクラスの絶対君主たる名君として、その名が挙げられるほどの人物である。
1661年、僅か8歳で清王朝4代目の皇帝に即位。政権運営は、ソニン、スクサハ、オボイ、エビルンの4人の重臣が合議で執り行っていたが、1667年長老のソニンが亡くなると、オボイが他の重臣を圧倒して祭り事を欲しいままにしていた。
ところが、1669年、康熙帝が16歳の時、モンゴル相撲にかこつけオボイを呼び出し捕らえて、康熙帝は親政を開始した。
康熙帝の最大の功績は三藩の乱(1673年~81年)を平定したことである。三藩とは、雲南の呉三桂、広東の尚可喜・尚之信、福建の耿(こう)継茂・耿精忠のことである。清建国時の漢人武将で、その功績により3代目皇帝の順治帝から領地を当てがわれていた。
1973年康熙帝は世襲を認めない方針を実行する三藩廃止決定で、三藩の乱を呼び起こし、それらの平定に8年間も要した。1676年一時は長江以南がすべて呉三桂らの反清勢力の手に墜ちていたが、清軍は反転攻勢を仕掛け、同年耿精忠、翌年に尚之信を降伏させて、1681年に雲南を滅ぼした。
ここに至って、康熙帝は中国全土における専制支配を確立したのである。
おわりに
このドラマを鑑賞して、世界初の誠実な官僚「于成龍」と彼を支援した世界史上屈指の名君「康熙帝」との鉢合わせは面白い。三藩の乱平定後に騒乱で荒れ果てた地方を于成龍が立て直し安定をはかるのに打ってつけの人材登用であった。
この頃にはこれまでの一地方官僚と違って高位高官扱いとなっている。科挙試験に合格しなかったことで地方回りを余儀なくされて来たが、優秀さが皇帝に認められて、ここで同等扱いになったのである。しかし、その後2、3年後に亡くなってしまった。
于成龍は、ベジタリアンでもないはずなのに肉等の贅沢品を食さなかった。そればかりか側近等周りの者にも押し付けていたようである。特に、成長盛りの子供には痛かったであろう。おまけに、亡くなった時木箱の中に官服が1着しかなかったそうである。
最後に、恒例のレトロな名曲「讃美歌21の265番 ~ It came upon a Midnight Clear」 (邦題/雨なる神には。讃美歌第114番。作曲/リチャード・ウイリス。1850年)を聴いて、本記事を終える。
https://www.youtube.com/watch?v=LYDa4Kht6Eo(Celtic Woman歌唱)
https://www.youtube.com/watch?v=uqkp2zhF4Uw(Anne murray歌唱)