諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

田んぼに水飛沫が、あれは何っ?

お題「わたしの癒やし」

 

 昨日は曇りも、今日は晴れ。

 「梅雨の中休み」の天気は、薄雲が一面に張り出したかと思うと晴れ間も覗かせたりと、スッキリとしない。つまり、典型的な曇りとか晴れとかでない日々が多いよう。

 今日午前中頃までは薄雲が空いっぱいに張り出していた。午後以降は、薄雲も多少取れて晴れ渡った。

 気温も昨日は過ごしやすかったものの、今日は非常に暑く真夏日であった。

 

 今日、次の写真(1枚)にある「アマリリス」の花も完全に萎んでしまった。

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(6月2日撮影)

 花の命は約1週間と短い。今季はもう庭の「アマリリス」の花が見られないのだろうか。と言うのも、芍薬がそうであったように、花を咲かせてくれない「アマリリス」が他にもあるから。

 

 そんな状況の中、田んぼをふと眺めていると、その中央付近で「水飛沫」が上がっているのを目撃した。当初は、「ケリ」が水浴びで「水飛沫」を上げているものとばかり思っていた。その様に思うほど、当初は小さく、大きな「水飛沫」でなかった。

 ところが、だんだん「水飛沫」の上がり具合が大きくかつ高くなり、「ケリ」の仕業にしては、広範囲へと拡がり始めたので、おかしいと思うようになった。

 そして次第に、「山の神ならぬ、田んぼの神の仕業」かとさえ思うようになり、恐れすら感じ始めたのである。(>_<)

 

 その時、偶然通りがかった見知らぬ「年配のおばはん」も、気になったのか、田んぼで舞い上がっている「水飛沫」を見詰め始めた。そして、いったんはその場を通り過ぎたのに、気になったのか、戻って来て又見詰め出したのである。

 当初の「水飛沫」は高さ・幅共約1mで、西方から東方に約5分くらい、100mの長さに渡り移動していた。後半は、田んぼに「さざ波」を立てて、次第に消失して行った。

 

 この様子は、生まれて初めて見る光景であった。

 通りすがりの「年配のおばはん」が「おいどん」に尋ねた。「あれ~は、何?」と。「おいどん」は分からぬまま咄嗟に、「竜巻では、あ~りませんか!」と答えた(注1)。(-_-;)

 

 その田んぼの水飛沫の様子は、次の写真(2枚)のとおりである。

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 しかし、後でよくよく考えてみると、竜巻にしては甘利にも小規模すぎるし、空は薄雲が張り出していたものの、積乱雲のようなものは見えなかったような気がした。すると、咄嗟とはいえ「竜巻!」と答えたのは間違っていたのだろうか?

 やはり、「田んぼの神の仕業では、あ~りませんか!」と答えるべきだったのであろうか?

 昨今、「田んぼを宅地造成等して潰しまくっている」現状において、「田んぼの神」のいら立ちが、このような形の怒りとなって、「おいどん」へ意思表示しているのでないかと思いたいんだが(注2)!(*'ω'*)

 

 「田んぼの神の仕業」であるかどうかはともかくとして、この現象をネットググりで調べているうち、次のような記事を見付けた。

知ってる?つむじ風と竜巻の違い - ウェザーニュース

 この記事から考えると、どうも「つむじ風」が正解のようか。

 それにしても、学校の運動場における「つむじ風」は、大手メディアで偶に報道されているようである。しかし、田んぼにおける「つむじ風」については、報道されているのを視聴したことがない。

 

 最後、恒例のレトロなシャンソンの名曲を紹介して、本記事を終える。

 それは、「Alain  Barriere Noelle  Cordier」が歌唱している、次の「Tu  T'en  Vas」(1975年)である。

https://www.youtube.com/watch?v=r0vb8Vx3qX8

https://www.youtube.com/watch?v=aDXDHLin9CA

 

(注1、2)なお、緑字部分の文章は多少面白おかしく脚色(例えば「~」の部分)している。しかし、通常の会話があったのは確かである。