諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

想ひ出の名曲を辿るジェットの旅(17)~日本の名曲「窓」5選~

お題「今日の出来事」

お題「カメラ」

お題「これって私だけ?」

 

 一昨日の朝は小雪が降り少し積もったが、その後は曇り時々晴れの天気になった。昨日は晴天も、朝霜が降りていた。

 今朝も朝霜が降りていたが、晴れのち曇り、その後に雨の天気となっている。相変わらず天候が安定しない。

 

 

はじめに

 

 今回は、デジカメ修理持ち出しの出来事に始まり、それに関連して、「目は心の窓」になぞらえて「カメラレンズを機器の窓」と捉えた。そして、もしかしたら、デジカメの故障は、「心の窓」に異変?があったのかも知れないとも考えた。そこから、「目は心の窓」について言及し、しかる後に、想ひ出のジェットの旅を巡る名曲として、日本の名曲「窓」5選を取り上げた。そして、それらの歌詞で唄われている「窓」の持つ意味を少し模索してみた。 

 

デジカメ故障による修理持ち出し事情

 

 作日、ブログに掲載する写真用デジカメの調子が悪かったので、家電量販店修理受付窓口に行った。今回で2度目である。❶フラッシュの不具合、❷カメラの焦点が合いにくい、❸偶に被写体がぼやける、の3点がデジカメ不具合における主因である。

 今回は当該デジカメ購入時から1年と1か月が過ぎてからの修理ということになる。最初は購入時から2、3か月ぐらいしての修理であった。この場合には、新品と交換してくれた。

 

 メーカー保証は1年なので、その期限が過ぎたことになる。前々から、少しカメラの調子はおかしいと思っていたが、支障はそれほどでもなくカメラ撮影ができていたのでそのままにしていた。思うに、やはり、安全策をとって、メーカー保証期限切れ1年前には修理に出していた方が良かったとつくづく実感した。

 電子部品が組み込まれている精密機械製品は1年ぐらい使用し続けると、多少ガタがくるものなのであろうか?

 

 以前なら、そのようなことをあまり考えなかったため、いつの間にか、メーカー等の保証期間が過ぎている場合が多かった。そのため、幾度となく、修理を諦めて買い替えたりしたものである。というのも、大抵の場合、修理するより新しく買い替えた方が安かったからである。このことは、特に、パソコン買い換え事例に当て嵌まった。

 なお、この事例は、普段から良く使用している場合に気を付けることができても、偶に使用する場合には当て嵌まらないような気もする。

 

 そこで、やはり、家電量販店の保証(年間1,000円の保証料金)に入っておく必要があろうか。今回は両者を合わせて5年の保証期間があったので幸いであった。しかし、その期間中に幾度も修理に出す場合、その費用は、商品購入金額の範囲内という制約がある。

 

「目は心の窓」と言うも

 

 それにしても、「目は心の」であると言われているが、それに類似して、デジカメレンズも「電磁的記録媒体機器のということになろうか。カメラのレンズは人の目に相当するからである。

「目は心の窓」という言葉の「怖さ」に気づいていますか?

 この点、被写体が少しぼやけて見えるという点につき、両者を比較して考えるに、ひょっとすると、「おいどんの心」と「デジカメの電磁的記録媒体機器」の両者又はいずれかに、何かおかしなところがあるのかも知れない?

 というのも、目やレンズの異常よりかは、心や電子部品の異常の方が多いようか?(>_<)

 

 「目が心の窓」との諺は、一般的には正しかろう。しかし、役者等演技上手の人については当て嵌まらないように思われる。そればかりか、人間関係が複雑化している現代にあって、倫理観や人の道理等の価値観が昔と異なり、所謂「正直者がバカをみる」社会の招来?もあってか一般市民にとって「目が心の窓」を、より一層見えづらいものにしている。 

 さらに、共助・公助の原則が廃れ、自助の原則真っ盛りの中の現代にあって、新自由主義という弱肉強食の時代状況下とも相まって、「目が心の窓」になりそうにない。というのも、人に弱みをみせると食い物にされる惧れ(例えば、「オレオレ詐欺」等の特殊詐欺事例)があるからである。

 そこで、中には、そのことを逆手にとって生き抜く知恵を持つ者も現れていそうに思える。例えば、「饅頭怖い」という古典落語のような生き方をする者である。

 今や、この生き方も有りなのだろうか?(-_-)

 

 

「窓」の意味する重要性 とは

 

 一般的に言って、窓のサイズの大小やその数の違いはあっても、「窓」のない家はない。それだけ、人間生活にとって「窓」の果たす役割は重要である。「窓」は、日の光を取り込み部屋を明るくし、さらに、家の中から外の様子を見させてくれさえする。さらに又、「窓」を開くことにより風通しを良くもする。

 ついでに言えば、パソコンの命名にあって、マイクロソフト社の「ウインドウズ」シリーズ(Windows7~10)もあり、世界に共通する重要な言葉として「窓」が使用されているようか。

 歌の世界でも「窓」には、多くの名曲がありそうである。それは、「窓」に寄せる人々への想いが計り知れない程の愛着感を醸し出すためであろうか。

 

「窓」を題目とした名曲5選

 

 そんな中、今回の「ジェットの旅」において、「窓」を巡る名曲5選を取り上げて、「窓」に寄せる人々への切ない想いを伝えたい(但し、作曲年・リリース順不同)。

 ここで、「ジェットの旅」の記事ゆえに、3月1日に撮影した見慣れないジェット旅客機の写真を掲載することとする。果たして、どこの会社所属のジェット機であろう?

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 ❶ まず、1982年に、ポップス歌手「桜田淳子」さんが唄っていた「」(作詞・作曲/犬丸秀、編曲/青木望)が挙げられる。まさに、シャンソンである。 

 https://www.youtube.com/watch?v=fTFwt6CuNUs

 この歌の主人公は 、裏庭に咲く「花」なのであろうか?その「花」から見た「仲睦まじい恋人(夫婦?)」の在り姿を、家の窓(裏窓)を通して唄っているように思われる。幸せな家人二人と、みじめにも踏みつぶされる「花」の羨望をマッチングさせた歌なのであろう。言わば、「花」が寄せるメルヘンチックな恋心の歌ともなっているようか。(^_-)-☆

 

 ❷ 次に、1979年に、シンガーソングライターの「松山千春」さんが作詞・作曲し、唄っていた「」がある。フォークソングの部類か。 

https://www.youtube.com/watch?v=nBT5LIXWYIA

 この詩の意味する解釈は難しい。歌の主人公は本人である。恋の歌であろうか。しかし、主人公が小さな窓から外を眺める様子は窺い知れるも、詩にある「君」とか「愛」とかの具体的な状況が掴めない。まぁ~、心が塞ぎ閉じ籠っている中で、小窓を開け、真の意味で自由になりたいということなのだろう?

 歌詞が2番しかないので、3番があれば、言いたいことが分かるのであろう。こういうことは、唱歌「浜辺の歌」にも言えたよう。(?_?)

 

 ❸ 続いて、1978年に、ポップス歌手「研ナオコ」さんが唄っていた「窓ガラス」(作詞・作曲/中島みゆき)がある。フォークソングの部類であろう。

 https://www.youtube.com/watch?v=GKAiF94fjvA

  「中島みゆき」さんの作詞には、よく「振られた女」の様子を描写する作品が多いようか(本人は美人なのに、何故っ?)。今回は、女友達(三角関係?)から「振って去って行った恋人」の話を臆面もなく聞かされて、主人公の本心とは逆の作り笑いをせざるを得ない状況が、如実に綴られている。「窓のガラスで涙とめる」とは、感情の変遷表現がなんと上手いようか。それにしても、「中島みゆき」さんの作品の多くは、内心と外面との葛藤が如実に描写されて、面白い。(^_-)-☆

 

 ❹ 2012年には、韓国人歌手「ハン・ジナ」さんが唄ってヒットした「」(作詞/瑳川温子、作曲/伴謙介)がある。まさに、演歌である。

 https://www.youtube.com/watch?v=ptuEiT0FAGY

https://www.youtube.com/watch?v=GyR0YoEbZhk

  同棲中だったか、それとも通い燕だったか等は明確でないが、いずれにしても、早朝、いつもは愛する男の姿を、家の窓から手を振って見送っていたのに、その後、「捨てられた女」の悲哀へと終わってしまった歌の内容である。この歌のメインは、「窓から手を振る過去の想い・未練」であろう。(^^♪

 

 ❺ 最後に、1991年、韓国人歌手「ヤン・スギョン」さんが唄っていた「裏窓」もある。この言葉は、1954年のアメリカ映画「裏窓」にも使用されていて、一時、流行った言葉のようにも思われたが、最近は、全く使用されていない「死語」言葉か。これは、多分「プライバシー権」確立により消失して行ったことに起因するものだろうか。以前は、「プライバシー問題」がそれほど目くじら立てられるような風潮になかったからである。

 この作詞からは、男女の夜の営み状況は窺い知れるも、「白い三日月が裏窓を横切る」のみでは、「裏窓」そのものの意味する解釈が難しい。このユーチューブ曲の歌詞だけでは判らない。(?_?)

https://www.youtube.com/watch?v=vz2t_JxVR9M&list=RDMMvz2t_JxVR9M&start_radio=1

 

おわりに

 

 デジカメの故障修理を発端として、デジカメレンズが電磁的記録媒体機器の「窓」の位置づけにあることを考えてみた。それは、ちょうど「目は心の窓」と言われているのと同じようであろうか。

 しかし、人間の目を通した人の心は複雑である。特に、新自由主義の下での人の心は、必ずしも「目は心の窓」になっていない場合が多く見受けられそうである。それは、「喜怒哀楽」という感情を喪失した現代人の無機質化にもその要因がありそうに思えようか。

 

 このことは音楽のヒット曲にも現れていよう。どちらかと言えば、ご当地ソング的な歌やダンス音楽的な「ワイワイガヤガヤ」ものが流行っているからである。さらにそれに加えて、情け容赦ない「JASRAC」の音楽著作権料強行徴収にも一つの要因があるように思われる。

 音楽文化の発展・向上のために音楽著作権料強行徴収の徹底化を図ると言いながら、実質的にはその阻害要因になっているのも否めない。なぜなら、音楽表現の自由が金銭面の事情ゆえに大きく制約されるからである。零細事業の音楽愛好者等にとっては、それが大きな足かせとなって、音楽を流すことや、唄うことを止めることが何と多いことか?

JASRACが日本の音楽を衰退させている。

 それでも、今回の「窓」が流行っていた時代は、それほど、上記のような大きな障壁が存在しなかったはずである。それゆえにこそ、当時は音楽文化の発展・向上が図られたと考えざるを得ない。

 

 というのも、小規模街角喫茶店等で聴いて、その名曲の存在を知ったからこそ、レコードやCDを購入したものであり、今やそんな購入事情はほとんどなくなっているようであるから。「天下り温床」の存在意義もあると揶揄されている「JASRAC」は、この点、音楽著作権料強行徴収の徹底化を、自重すべきでないだろうか。

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/tyosakukenco/ongakutyosakukenco/jasrac_amakudarico.htm

音楽教室側が全面敗訴 レッスンでも著作権料―JASRACの主張認める・東京地裁:時事ドットコム

 

 最後に、上掲写真のジェット機について、同様、もう2枚の写真を掲載する。

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 このジェット旅客機の正体は、「ベトナム航空」機であった。それにしても、地方にまでベトナム機が飛行してくるのは、「驚き桃の木山椒の木」である。まぁ~、在留外国人数において、ベトナム人が、中国人、韓国人に次いで、3番目に多いことから、そうなるんだろうけれどね!

ベトナム航空の口コミと航空券情報 (画像付き) - トリップアドバイザー

「中国人留学生」事情、あれこれと! - 「余所(ヨソ)事でない」ブログ日記

 

(追記)

 3月8日、曇り時々晴れ。

 音楽教室側が「JASRAC」に対して、音楽演奏につき、著作権使用料支払義務無しとの確認を求めた訴訟で、東京地裁は、音楽教室側に敗訴の判決を下した。これに対し、音楽教室側は控訴した。

 次の記事解説では、控訴審における「カラオケ法理」の適用有無がポイントと言う。

 JASRACが全面勝訴 音楽教室の演奏に適用された「カラオケ法理」 - ライブドアニュース

 確かに、「生徒」を「公衆」(不特定かつ多数)と言えるのかが争点となろうか。