諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

花の美と香りを競う「バラとくちなし」、軍配はいずれに?

お題「今日の花」

 今日は快晴。日射は強いも、そんなに暑くは感じられない。

 

 今が花盛りのシャルル・ド・ゴール(バラ)と「くちなし」が、見頃である。

 今年は、「シャルル・ド・ゴール」について、何故か昨年と異なり、花付きが寂しい限りで、一枝にしか花が付いていない。それでも、この前までは、花が咲かないのでないかと心配していたところ、何とか咲いてくれた。(^^)/

 

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シャルル・ド・ゴールの写真1枚)

 

 他方、「くちなし」は、昨年と打って変わってたくさんの蕾が付いており、順次花びらを咲かせてくれている。そしてその後、部分的に、斑模様になって茶褐色になり、清楚で純白な姿の見る影を薄くさせている。

 開花後、純白さを失うのはあっという間である。しかし、たくさんの蕾が順次開花するため、全体として、純白色の花が途切れることはない。

 

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(くちなしの花とシャルル・ド・ゴールの写真計4枚)

 

 「バラ」も「くちなし」も、草でなく、木であるところ、やはり、「花の女王」という呼称(注1)のとおり、花の姿かたちでは、「バラ」の方に軍配が上がる。しかし、「くちなし」も3大香木の一つに数え上げられていることから、香りについては「くちなし」の方に軍配が上がる。

 

 思うに、「くちなしの花」も、開花時における純白色の花の状態は、「バラ」とそれ程遜色がないようか。しかし如何せん、花の姿かたちに変化がなく単調であること、純白色の状態が余りにも短すぎること、茶褐色状態になった「くちなしの花」は見るも無残であること等を思うと、全体として「バラ」には敵わない。

 まあ、「くちなし」は、純白の美しさよりも、甘い香りで「バラ」をもはるかに凌駕する特徴を有しているだけで十分であろう。

 

 話は脱線するが、世界3大美女の一人と言われている古代エジプトの女王「クレオパトラ」は、本当は美人でなかったというのが定説であろうか(注2)?「カエサル」等古代ローマの英雄を虜にしたのは、真偽不明であれ、「クレオパトラ」の声や対話のみならず、彼女の体から発散される香しい匂いにもあった話もある(注3)。

 もしそれが本当だとすると、香りは美形に負けず劣らずのものがあるということになる。

 そしてこのことは、「バラ」と「くちなし」にも当てはまるような気がしてならない。

 強香の「バラ」といえども、鼻に花を近づけないと香りが分からないものが多いのに対し、「くちなし」は、鼻に花を近づけなくても、甘い香りを周辺に漂わせている。

(^_-)-☆

 今日的に言えば、まさに、クレオパトラは、「バラ」というより「くちなし」になぞらえて考えることもできると思んだが・・・飛躍的な的外れの発想なのか!

 この点、果たして如何であろう・・・?(*^_^*)

 

注1

  バラが「花の女王」と言われる所以について、昨年5月22日付け拙著ブログ記事「バラが花盛り!」で 触れた。

注2

 クレオパトラが美女でなかったという説は、次のブログ記事から伺える。絶世の美女でないとの根拠は、フランスの哲学者パスカルの言葉と、ローマの歴史家プルタゴラスプルターククレオパトラ評であるとのこと。

 そして、クレオパトラを、古代ローマの英雄・カエサルアントニウスの虜にした魅力は、「容姿ではなく雰囲気や優雅で穏やかな話し方から来るものであった」ということらしい。

実は美人じゃなかった…?クレオパトラが英雄に愛されたホントの理由 - NAVER まとめ

wondertrip.jp

注3

 次の記事によれば、クレオパトラは、日常的に「バラの香油入り風呂に入り、体に香油を塗」っていたという話なので、バラの中でも、くちなしに負けない特別の種類の香りのするものなのであろう。

 そのようなバラは、果たして、ホームセンター等において販売されているのだろうか?

香りの歴史【クレオパトラとツタンカーメン編】 | 戦う男をアロマで癒す専門家【MR AROMA】の星野知子のブログ

::香水の歴史 | 香水Bizブログ

 

(追記)

 6月14日、朝は曇りで、風がある。午後からは雨になる。

 「花の命はみじかくて 苦しきことのみ多かりき」(林芙美子)にあるように、「バラ」や「くちなし」の花の命は短い。と同時に、人生というものは、楽しいことよりも、苦しいことの方が多いように思われる。正鵠を得た言葉か。

 思うに、多くの苦しいことよりも、楽しいわずかな一時に焦点を当て、思いを馳せることこそ肝要なんだが・・・一般的には、そのようなことがあるのだろうか?(-_-;)

林芙美子 「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき」 - 日本近代文学館

 

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(綻び始めた「シャルル・ド・ゴール」と、茶褐色になり見るも無残な姿になって行く「くちなし」の花、の写真各1枚)