諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

Twitterに嵌っています!

 今日は小雪の舞い散る日でした。ここ最近は、時折晴れ間が出たかと思うと、急に雲が一面に張り出し、雪が降るという日々が続いているようです。

 先だって、blogにも「Twitterに凝る!」の記事を書きましたが、今回はそれを超え、嵌ったままの状況が続いています。

 確かに、Twitterは書ける字数が限られ、思ったことすべては書き切れません。しかし、簡潔な文章作成の訓練になることや、Web記事の紹介がてら、簡単なつぶやきも載せられ、情報ネタにも困ないという重宝さがあります。

 小生にとっては、日常生活ネタはさることながら、社会、政治、法律問題にも関心をもっていることから、Web情報は極めて重要です。

 現在、Twitterを完全に使いこなせている状況ではありません。いろいろ試みをし、時たま、他人のツイートに返信したりして、その反応状況を伺っています。また、「いいね」のクリックもしました。分からないことに、何故か、パソコンメールの着信記録にTwitterからの送信があったりもしています。

 他人のツイートの返信ツイートを見ると、「つぶやき」本来の、感情的なはけ口のようなものが多く見られますね。単純明快ではありますが・・・。

 小生の場合は、必ずと言って良いくらいに、簡単な理由をつけてつぶやきます。その方が、その時何故そう思ったのかが、後に検証できるだけでなく、読み手にも一応の納得が得られそうと考えるからです。このことは、その当否の問題ではないでしょう。

 返信に対して、他の人からの反応が来るのは楽しみの一つになりました。小生として、別に宣伝を目的にしている訳ではなく、有益と思えそうな情報と雑感の提供それ自体が目的であります。しかし、多くの人はそうでないような気がします。  

 意図しない商業宣伝の多くが、小生のTwitterに入り込んで来ています。このことは、単なるつぶやきから、それがてら宣伝をすることが目的化した通信媒体としての役割が課せられているのかも知れませんね。

 別に商業宣伝が来たからといって気にしませんが・・・。むしろ、無料でTwitterを使用できることに、大いなる意義を見出しています。