諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

牡丹(ボタ)雪が降ったよ!

 今朝からボタ雪が降り続き、夕方には止んだ。久しぶりに少し雪が降り積もっている。

 昔、ベルギー人のシャンソン歌手・アダモの「雪が降る」(Tombe la neige)が流行ったことがあった。レコードを買ってよく聴いたものだった。感傷的で甘美なメロディが特徴である。

 その雪は、今回の雪とはかけ離れ、深々と積もって地面を覆いつくすような街の雪風情を掻き立てられる。

 最近、そのようなメロディ調の曲はお目にかからず、流行っていないようだ。時代の移り変わりが急激で、優雅で牧歌的な時代も過去のものとなり、人も非人間的なものになりつつある証拠かもしれない。

 というのも、歌は人の心を外部に表出するものと考えるからである。今は、多くの人が、じっくりと音楽鑑賞できるゆとりのある状況にないのが実情であろうか?

 昔は、巷に音楽が満ち溢れ、いい曲だなと思ってレコードを購入したものだった。しかし、今はそのようなことはない。

 ジャスラックによる音楽著作権徴収の強引さも、これに輪をかけているのかもしれない。大衆音楽文化の向上・発展には支障になっているのではないだろうか。

 確かに、音楽著作権者の保護は必要ではある。しかし、長年限にわたる保護は、やり過ぎではないか。

 有料ということになると、誰もが、いつでも、どこでも、自由かつ気軽に音楽を楽しむことが難しくなる。そうであれば、それこそ、大衆音楽文化の向上・発展にとって弊害そのものと言わざるを得えない。

 大衆音楽文化の向上・発展のためにも、著作権法著作権者の死亡後、翌年から起算して50年間の保護。しかし、TPPの発効後は70年間になる予定。この点、むしろ逆の方向に進んでいる。)の改正を望まずにはいられない。