諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

メロディの一部が、どこかの曲に似ていそうな「レトロな名曲2選」等について

お題「わたしの癒やし」

 

 一昨日は曇りのち雨。昨日は雨のち曇り。今日は晴れ。

 これまで大気の不安定な状態が続いていたが、今日は大気が安定して晴れとなっている。その様子は、大空を飛行する「日航機」と、電線に止まって雄叫びを上げている「スズメ」の、各背景写真を見れば判ろうか。

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(上掲写真2枚は、いずれも本日撮影)

  

はじめに

 

 埋もれた名曲探訪のネット旅を続けていると、見付けたレトロの名曲の中にどこかで聴いたことのあるような曲に出くわすことが偶にある。それは、まるでジェット旅客機が雲の中へ突入して、前方視界不良で飛行し続けているのと似たようなものであった。

 そのどこかの曲が何であるかは分からいことも多く、そのどこかの曲についてもさらなる探訪のネット旅を続け、艱難辛苦の末にようやく見つけ出した時の喜びは、格別であった。

 そして、そこで判ったのは、どこかで聴いたことのある曲は、そのすべてと言ってよいほど、かって一世を風靡した名曲であったということである。

 まぁ~、大手マスメディア等が大きく取り上げるくらい有名な曲でないと、一般人にとって、どこかで聴くということはあまり考えにくいが・・・。

 このことは、古今東西を問わず、ある程度の音楽に精通していないと、その名曲が何たるかは判りそうもない。

 

類似曲問題について

 

 この点について、次の過去記事を書いたことがある。

どこかの曲と似たような、「名曲メロディ」2選について - 諦観ブログ日記

往年のヒット曲「Forever and Ever」に感銘も、どこぞの名曲に似たような? - 諦観ブログ日記

似ているようで、似ていない等の「レトロな名曲3選」について(私見) - 諦観ブログ日記

 これらの過去記事を振り返って思うに、メロディの一部が多少似ていても曲全体の構造等、とりわけ曲の展開部分が大きく異なれば、とやかく目くじら立てて非難すべきで筋合いのものでないだろうと言うことである。

 と言うのも、原曲と思われる素材となろうメロディからインスパイア-されて、新たな作品に仕上げられることは多々見られるからである。

 

 今回取り上げる、以下の2作品もそうであろうか?

 

アンサーソングは哀愁

 

 まず、埋もれた名曲探訪のネット旅で見付けたのは、「早見優」さんが歌唱していた「アンサーソングは哀愁」(作詞/阿久悠、作曲/馬飼野康二、編曲/萩田光雄1982年10月19日発売)である。

https://www.youtube.com/watch?v=8Wf5Jh4MAoU

https://www.youtube.com/watch?v=XeWS9B6dggc

 

 これを見付けたところ、この曲がどこかの曲に似ているように思えたのである。

 そこで、あれやこれやと四苦八苦した末に、見付け出したのが、「Berti  Higgins(バーティ・ヒギンズ)」が歌唱していた「Casablanca」(作詞、作曲/B.Higgins、B.Higgins、S.Limbo、J.Hearly。1982年1月1日リリース)であった。

https://www.youtube.com/watch?v=Blx9lHMivQs&list=RDBlx9lHMivQs&start_radio=1

https://www.youtube.com/watch?v=_ONPJm6Hi7U

https://www.youtube.com/watch?v=uiAXl-hBPRk

 

 さらに、この曲を日本人の有名歌手がカヴァーしていたことも判った。それは、「郷ひろみ」さんが歌唱していた、次の「哀愁のカサブランカ」(日本語詞/山川啓介、編曲/若草恵。1982年7月17日発売)である。

https://www.youtube.com/watch?v=LPBoIP4qp9k

 

 「Casablanca」という名曲はアメリカではヒットせずに、日本でヒットしたそうである。そしてその後、「郷ひろみ」さんがこの曲をカヴァーすることによって、より一層有名になったとのことである。

 このことは、まさに、当時の音楽事情に精通した人しか知らない事柄なのであろう。

 

ふられ気分でRock’n’Roll

 

 次に、埋もれた名曲探訪のネット旅で見付けたのが、「TOM☆CAT」が歌唱していた、次の「ふられ気分でRock’n’Roll」(作詞・作曲/松崎淳美、編曲/Light  House。1984年発売)である。

https://www.youtube.com/watch?v=8lHYwDNODjk

https://www.youtube.com/watch?v=8tJz0jwbVpo

https://www.youtube.com/watch?v=FZLlwXsLnNo

 この曲は、第28回ヤマハポプコングランプリ&第15回世界歌謡祭グランプリ受賞曲(1984年10月)で、特に有名であった。

 

  ところが、この曲も、イタリアの歌手グループ「Ricchi  e  Poveriリッキ・エ・ポヴェリ)」が歌唱していた、「Mamma  Maria(邦題名/マンマ・マリア)」(作詞・作曲/Cristiano  Minellono、Dario Farina。1982年リリース)に似ていたのである。

https://www.youtube.com/watch?v=NehvJNiQj0A

https://www.youtube.com/watch?v=1TRM75eU7Uk

https://www.youtube.com/watch?v=vCFY0SKTF4o

 この点、当時、これら有名曲同士の類似性について、何ら議論されなかったのであろうか?

 

著作権侵害訴訟の絡みで、知名度アップした楽曲例

 

 さらには、上記の2作品のように、メロディの一部が似ているか、似ていないかの妙な事情と異なる、明らかに盗作とされた事例を紹介する。

 それは、裁判所が音楽著作権侵害を認めた一例である。盗作として訴えられたのは、フランスで結成されたポップスバンド「Kaoma」が歌唱していた、次の「Chorando  se  foi泣きながら)」(1986年)である。

https://www.youtube.com/watch?v=w0opr1OZcA0

https://www.youtube.com/watch?v=i8VLp-5b6-4

 それにしても可笑しなことに、これを機縁として「Kaoma」はそのバンドの知名度を一層増したそうである。言わば、商売繁盛に繋がったということになろう。

 

 音楽著作権が侵害されたとして裁判になった原曲は、次のとおりである。

 ウリーセス・エルモーサ(「ロス・カルロス」のグループメンバー)作曲のフォルクローレLlorand  se  fue泣きながら)」(1981年)

https://www.youtube.com/watch?v=xKau76yc4HE

https://www.youtube.com/watch?v=k69DmYvUPD8

https://www.youtube.com/watch?v=iRLGjje9JDw

 1989年、ボリビアフォルクローレグループ「ロス・カルカス」が音楽著作権侵害訴訟を起こし、この曲の盗作が裁判所に認定されて勝訴したもの。

 

 思うに、上記の両曲を聴き比べてみて、曲のメロディや構造等がほとんど似通っている。これは音楽権侵害を認めざるを得ない典型例であろう。ただ、このことにより、曲の知名度がより増したのは、言わば、「瓢箪から駒」のようなものだったであろうか?

 

おわりに

 

 音楽作品の類似性については、まかり間違えば音楽著作権法違反が取り沙汰される問題を孕んでいる。俗にいう「パクリ(盗作)」と非難され兼ねない事柄である。

 これも、上掲「Chorando  se  foi泣きながら)」のように、作品のほとんど又は中核部分が似ているのならともかくとして、多少似ているから、又は一部のメロディが同じだからと言って、即「パクリ」と非難するのも、多少違和感がある。

 

 そもそも、メロディの有限性を真剣に考えるならば、曲全体の構造を重視すべきように思われよう。そうでないと、新しい音楽作品の創作はどこかで行き詰まってしまう。又、原曲と思われる曲の構成等が不十分な場合は、編曲によっても、より良い曲の構成を形作るのに限界があろう。

 

 歌謡曲が隆盛を極めた昭和時代は、おそらく、音楽著作権問題をあまり意識することもなかったであろう。それゆえに、似たような曲が数多く量産されたように思われる。

 まぁ~、それだけ、似たような曲に対して、一般の人は目くじらを立てるほどもない社会的許容性があったということなのだろう?このことは、まさに、昭和が牧歌的な時代であったことの証左である。

 

 ところが、昨今、特に「JASRAC」問題が取り沙汰されるようになって、音楽文化の発展向上に陰りが見え出して来ていそうである。

 「JASRAC」側は、著作権者の権利保護を守ることが音楽文化の発展向上に資すると主張している。であっても、その保護期間が70年と半永久的と言ってよいほどの過度な長さに問題があろう。

 さらには、「JASRAC」による広範かつ徹底的な著作権料の徴収方法にも問題がある。このことは、音楽利用者にとって、楽曲の些細な使用についても委縮効果を与えている。このことから、音楽文化の発展向上以上に、それへの支障になっているとも言えようか。