昨日、今日と晴れ。
このところ毎日が暑い。ただし、早朝は涼しい。この梅雨時期に暑いと、本格的な7~8月の真夏日が思いやられる。
今夏はコロナ感染対策マスク着用による熱中症が、昨年同様に心配である。
今朝、自宅の外壁にトンボが止まっていた。昨夕見たトンボのようである。その時は周囲が少し薄暗くて、カメラ撮影に失敗した。トンボは近くに寄っても逃げなかったので、カメラ撮影に成功した。
その様子は次の写真(Twitter投稿を含め、3枚)のとおりである。
「ムギワラトンボ」なのか? pic.twitter.com/x3sFk9xWZ4
— 月影隠輝 (@f3eOrVMXRo0zZgC) 2021年6月10日
それにしても、このトンボの名前は何なんであろう?
「ムギワラトンボ(体長約5cm)」のようである(ただ、後述する「ナツアカネ&アキアカネ」のメスともよく似ているところがある。)。
一般的に「シオカラトンボのメス」が「ムギワラトンボ」と言われている。しかし、未成熟のオスも上掲写真のような色模様等をしているので、そのオスも「ムギワラトンボ」である。
しからば、メスと未成熟のオスとをどこを見て判別するのであろうか?
この点について、トンボの腹部全体が太め(メスの特徴)とか等で見分けているようである。すると、上掲写真のトンボを見るに、腹部が太めのようであるので、未成熟のオスでなく、メスの可能性が高い。
これまで、ムギワラトンボ(シオカラトンボのメス)を見ているのであろうが、今回のように写真撮影したのは初めてである。と言うのも、シオカラトンボのオスのように派手な色をしていないので気に留めていなかった。赤とんぼであれば別ではあった。
シオカラトンボのオスについては、次の過去記事に書いている。
小さな庭の夏景色で知った、二つの事柄とは? - 諦観ブログ日記
ムギワラトンボのオスと同様に有名なトンボに、通称「赤とんぼ」と言われている「ナツアカネ(体長約4cm)」「アキアカネ(体長約4cm)」等がいるが、この赤とんぼを近くで見る機会は少ない。見ても、田んぼの上を飛び回り、カメラ撮影ができない。
なお、名前の由来どおり、ナツアカネは夏、アキアカネは秋の「赤トンボ」である。
本題目の「トンボ(蜻蛉)へのノスタルジー」は、幼少時に良く歌っていた、次の童謡歌「赤とんぼ」(歌唱/由紀さおり・安田祥子、作詞/三木露風、作曲/山田耕筰。1927年の作品)のことである。
https://www.youtube.com/watch?v=XKx_cWKMqZo
当時、歌詞1番の「おわれてみた」と言うのを「追われてみた」と思っていたのは、実は「負われてみた」のが正解であった。
また、歌詞2番の「桑の実を 小篭に摘んだは まぼろしか」とあるのは、秋のことだと思っていたところ、桑の実がなるのは6月下旬頃なので、初夏のよう。
まぁ~、「まぼろしか」なので、季節は関係ないようにも。
この歌で作詞者の一番言いたい核心部分は、歌詞3番の「十五で姐やは 嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた」である。
この「赤とんぼ」の歌の趣旨は、一言で、三木露風の幼少時、お守りをしてくれた、消息不明の年若い子守奉公「姐や」への幸せを願う郷愁であっただろう。
その中で、特に印象的なのが「お里のたよりも 絶えはてた」である。この点について、誰から誰へかは、次の解釈がある。
❶ お嫁に行った姐やから三木露風に対するたより説
❷ 姐やの実家からの姐やに対するたより説
❸ 離婚して実家に帰った三木露風の母親からのたより説
これらの説について、上記❶が三木露風の心情であったと思いたい。しかし、現実は年若い「姐や」にたよりを出すだけの素養があったように思えない。又、おそらく、「姐や」はお嫁に行っても赤貧状況が続いていたであろうと推察され、たよりを出すだけの余裕はなかったように思われる(注1)。
それよりも、厳しい生活状況から早死にした可能性もあり得る。三木露風の「姐や」の幸せを願う気持ちは、無に帰していそうに思えてならない。
上記❸は歌詞からはどこにも窺えないから、この説は採用しにくいように思われる(注2)。そこで、実際は「お里」とあるから、三木露風の願いとは別に、上記❷の説が正しいように考える。
ところで、山田耕筰の作曲「赤とんぼ」については、シューマンが作曲した、次の「序奏と協奏的アレグロニ短調」と似ていると言われている。
https://www.youtube.com/watch?v=sW0IsVP0-Rg
https://www.youtube.com/watch?v=PzhirPummgc
言われてみれば確かにそのようか。まぁ~、インスパイア-された可能性が高い。それにしても、唱歌「浜辺の歌」にしろ、「早春賦」にしろ、「雪の降る街を」にしろ、この時代はインスパイア-が盛んに行われたのであろうか?
(注1)「お里」を「姐や」とするには、姐やの名前が「お里ちゃん」なら、理解できるが、まさかであろう。
(注2)この点、「お里」を三木露風の母親の実家として、姐やを通じて母親のたよりを聞きつけていたとする有力説がある。この説だとこの歌の主眼が母親になってしまい、「姐や」は単なる使い走り的な存在になって、姐やの存在意義は薄れてしまう。