今日は晴れ。過ごしやすい一日。
はじめに
最近は、意味のあるブログ記事ネタに窮している。それは、一方で、センシティブ情報、名誉毀損的表現や著作権法違反等にかかる問題への配慮が、重くのしかかっていることが影響している。また、他方で、とりとめもない無意味なブログ記事投稿への忌避もある。
それらの障壁の中にあって、あまり日日の間隔を置かずに、ブログ記事を継続的に投稿しようとすると、場合によっては、とってつけたような記事も書かざるを得ないことがあろう。
今回は、嗜好品である「コーヒー」に関わる古今の名曲4選を取り上げ、それらの関連性が見いだせられるか否かを、考えたい。
1 コーヒー・カンタータ
まず、「コーヒー・カンタータ」という声楽曲の話。
この曲は、クラッシック界の「音楽の父」とも称される「J.S.バッハ」が、1732~1734年に作曲した「おしゃべりはやめて、おしずかに」(BWV211)という小喜歌劇の別名である。コーヒーを題材とした有名な作品である。
作詞は「ピカンダー」(日本語対訳・川端純四郎)で、当時ドイツのライプチッヒで、コーヒー依存症が社会問題化していた。その内容は、これに関係して、コーヒー依存症にかかっている娘に対し、父親が結婚をだしにして、コーヒーを飲むことを止めさせようとする、いわば風刺劇のようなものである。
バッハのコーヒーカンタータ | 達人に訊け! | 中日新聞プラス
Johann Sebastian Bach - "Coffee Cantata" BWV 211 (English Subtitles) - YouTube
余談になるが、これと対になる曲として「農民カンタータ」がある。メロディとしては、この曲の方が優れているように思うが。
なお、神童「モーツアルト」、楽聖「ベートーベン」、文豪「バルザック」や「ヴォルテール」も、大のコーヒー好きだったとの話である。
もしこの時代に、コーヒーが、中東から西欧にもたらされていなかったら、彼ら天才の名曲や小説は誕生していなかったかも知れない!
コーヒーは、知的創造物にとって欠かせない飲料なのだろう。
2 コーヒー・ルンバ
続いて、「コーヒ・ルンバ」というラテン音楽の話。
コーヒー・ルンバは、1958年に、南米ベネズエラの「ホセ・マンソ・べロ-二」が、作詞・作曲した。原曲対訳は「コーヒーを挽きながら」で、ウーゴ・ブランコの演奏で世界的に大ヒットしたとのこと。
この曲は、日本で、1961年以降、西田佐知子さん(日本語詞・中沢清二)、カバー版として、ザ・ピーナッツ(日本語詞・あらかわひろし)が、それぞれ歌ってヒットした。その後、荻野目洋子さんや井上陽水さん等が再カバーしてリバイバルヒットとなった。作詞は、原曲の詞(訳詞・石橋純)と全く無関係である。
原曲の詞には、何故か悲痛な感じがしてならない。ところが、日本語詞は楽しく踊りたくなりそう。それにしても、外国の原曲の訳詞がそのまま日本に導入され、ヒットするのは少ないようか!
コーヒールンバ 荻野目洋子(KUROMA/AKI/CHIKA/NORIKO) - YouTube
なお、この曲がヒットした1960年代初頭、インスタントコーヒーが国産化されたことにより、一般家庭でもコーヒーが飲まれるようになったとのことである。
3 学生街の喫茶店
次に、日本のフォークとして有名であった「学生街の喫茶店」の話。
1972年に発売の「学生街の喫茶店」(作詞山上路夫、作曲すぎやまこういち)は、GARO(ガロ)が歌ったフォークソングである。楽曲モデルの喫茶店は、東京・御茶ノ水にあった明治大学付近の「丘」との説もある。
詞の中では、コーヒーの言葉はなく、「お茶」と謳っているが、コーヒー(女性は紅茶か?)のことを指しているように思われる。また、2016年に、ノーベル文学賞を受賞した「ボブ・ディラン」の名前が、この曲から出てくるので、今まで知らなかった若年世代により、再認識されようか。
ガロの現在と名曲「学生街の喫茶店ガロ」の誕生秘話は? - フォークソングカフェ
【学生街の喫茶店/ガロ】歌詞を解説!あの頃はこの気持ちが愛だと分からなかった…知らない間に終わった恋 - 音楽メディアOTOKAKE(オトカケ)
ボブ・ディランはなぜノーベル「文学賞」を獲ったのか(堀井 憲一郎) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
4 コーヒーショップで
最後に、「コーヒーショップで」という歌謡曲の話。
1973年、あべ静江さんが歌ったアイドル歌謡曲「コーヒーショップで」(作詞阿久悠、作曲三木たかし、編曲馬飼野俊一)は、喫茶店のマスターが、主人公から見た目的の人である。やはり、大学生らとのかかわりを歌ったものか。
あべ静江さんにとっては、この曲が最大のヒット曲ともなっている。
昨今は、昔のように、「喫茶店」が舞台となるような歌がないようか?クラッシックやフォークソング等は喫茶店と切っては切り離せない関係で、かって隆盛を誇って来た(名曲喫茶・歌声喫茶)が、昨今は流行らない。当然、名物マスターも聞かれないよう。
しかも、個人オーナー喫茶店が、スターバックスとか、ドトールコーヒーとか等の大手企業に飲み込まれ、また、コンビニでは安価で美味しいコーヒーを提供することもあって、衰退の一途を辿っているように思われる。
個人オーナー喫茶店が、それらに対抗して生き残りを図るためには、差別化への模索・工夫が必要になろうか。個人喫茶店の「冬の時代」到来のように思われて仕方がない。
あべ静江「コーヒーショップで」のマスターのように定点観測で見えてくる“人の移ろい” | GetNavi web ゲットナビ
まとめ
それでは、以上述べた名曲4選に関連する事項が、あるのか、ないのか?を考える。
上記1は、親がコーヒー大好き娘にコーヒー飲むのを止めさせたいがための曲。2はコーヒーそのものの良さを訴えかける曲。3は喫茶店での恋人同士の悲恋話を伝える曲。4は中高年の喫茶店マスターの有り姿を描いた曲。
以上から、上記1、3、4は、「コーヒー」に関連したそれぞれの人間模様が分かる。3と4は、舞台が学生街の喫茶店という点のみが共通している。2は、とにもかくにもコーヒーは恋を惹起する、いわば媚薬のようだと強調して、浮かれようとしている(但し、原曲の詞には、コーヒーを挽きながら、恋の苦しさに身をやつしている様子が窺われる)だけ。
そうすると、1~4には、ただ「コーヒー」を題材とするのみで、それらの間に何ら論理的関連性がない。また、時系列的因果性もない。
それらの関連性があるのは、単に「コーヒーにちなんだ名曲」であるという点だけのよう。結局のところ、単に、名曲を揃えただけということになろう。(*'ω'*)
(追記)
6月21日、曇り。
ふとしたことから、次のブログ記事を発見。
確かに、そのとおりだと思う。
商業ベースの行き過ぎた「歌詞の引用」につき、音楽著作権法上の規制対象になるのは仕方がないといえ、そうでない場合にまで、「JASRAC」が過度に厳しい姿勢で臨むというのは、音楽文化の発展向上にとって、マイナス以外の何物でもないであろう。