諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

「コーヒールンバ」生誕国ベネズエラ出身の歌手「Rudy Marquez(ルディ・マルケス)」

お題「わたしの癒やし」

 

 昨日は曇りのち晴れ。今朝は晴れ。

 

 南米ベネズエラの音楽家が日本で取り沙汰され、人気を博した人物はあまり知られていない。ベネズエラは、地球上で最も音楽に溢れている国のようであるが、その音楽が日本で人口に膾炙しているとは言えそうにない。

 

 そんなベネズエラにあって、日本で唯一有名な曲は「コーヒールンバ」である。

 この曲は、ベネズエラ人のウーゴ・ブランコの叔父が作曲した(実際の作曲者はウーゴ・ブランコ。未成年であったため叔父の名で登録)のを、1960年初頭に、ウーゴ・ブランコが世界に広めたのである。そして、日本初のベネズエラの音楽ヒット曲となった。

「コーヒールンバ / ウーゴ・ブランコ」(Coffee rumba/Hugo Blanco) - YouTube

コーヒー・ルンバ | ベネズエラ大使館

 

 そのコーヒールンバ(原題の日本語対訳/コーヒーを挽きながら。作詞・作曲/ホセ・マンソ・ペローニ。1958年)は、1960年代初頭、日本でインスタントコーヒーが国産化され、一般家庭で広く飲まれるようになった。そのためもあってか、インスタントコーヒーの宣伝普及にも打ってつけの曲であったであろう。

 具体的に、1961年の西田佐知子(日本語詞/中沢清二)や1962年のザ・ピーナッツ(日本語詞/あらかわひろし)等がカヴァー曲を歌唱して、日本で大ヒットしたのである。

 その後、2001年に井上陽水もカヴァーする等、それまでに日本の数多くの有名歌手等がカヴァーしている。

 

 そんなベネズエラの音楽家の中にあって、ネット検索で、シンガーソングライターの「Rudy  Márqezルディ・マルケス)」を見付けた。彼は、メロディ溢れる曲を歌唱していた。

 それは、次の5曲である。

 ❶ 「No  Lo  Puedes  Negar」(1975年)

https://www.youtube.com/watch?v=hbSO_9kQU6c

 ❷ 「Juro  Por  Mi  Vida」(1977年)

https://www.youtube.com/watch?v=79KfPRxQ0Cg

https://www.youtube.com/watch?v=3ShaaZYiDjg

 ❸ 「Insoportablemente  Bella」(1980年)

https://www.youtube.com/watch?v=Zh9rBqaiBGw

https://www.youtube.com/watch?v=F9Hel5g5bzY

 ❹ 「Tù  Y  Yo

https://www.youtube.com/watch?v=ZAtqkdUpfCs

 ❺ 「Adios  Maria

https://www.youtube.com/watch?v=F-r6fvqneyE

https://www.youtube.com/watch?v=WrSK2IuEURE

 ルディ・マルケスは、1960年~80年代にベネズエラ、アルゼンチン、スペインやイタリア等で活躍した音楽家である。ところが、ウーゴ・ブランコと同時代のミュージシャンであったにもかかわらず、全く知らない。

 

 最後に、ベネズエラという国を、以下で俯瞰してみる。

 ベネズエラは、南米の最北中央部に位置し、正式国名はベネズエラ・ボリバル共和国である。面積は約91万2000㎡(日本の約2.4倍)、人口2795万人(2021年)、首都カラカス。西には中央アメリカに繋がるコロンビアがある。

https://map.yahoo.co.jp/place?maptype=basic&lat=7.9999835&lon=-66.0000335&zoom=4&fr=sydd_GEDD_maps_next_p

ベネズエラ基礎データ|外務省

 世界有数の石油産出国であるため、経済は主に石油関連産業に依拠し、1980年代頃までは南米一の富裕国であった。しかし、貧富の差が著しく、一部の富裕層に富が独占されていた。これに対して、チャペス政権は格差是正の政策(21世紀の社会主義)を実行した。ところが、アメリカとの軋轢による制裁を受け、さらに原油価格の下落や政策の失敗により、現在は多くの国民が貧困に喘いでいる。

極貧層、国民の4分の3に コロナと燃料不足が悪化に拍車―ベネズエラ:時事ドットコム

(7月30日撮影の松葉牡丹)