昨日は晴れのち曇りのち雨。今日は雨時々曇り一時晴れ。
今日、「トンビ」が突然、今年最後の日の挨拶をしに来たかのように近づいて来た。
そして、この鳥の迫力にはびっくりした。(>_<)
はじめに
癒しのレトロな名曲を探していると、映画の主題歌にもなったりした作品が多くみられる。今回取り上げる「埴生の宿」や「リリー・マルレーン」もその一つである。
両者に共通するのは、第二次世界大戦中の「戦場ノスタルジー」を誘う点である。つまり、敵・味方共々、とある名曲に共感を覚えて唱和し又は聴き入る、言わば「涙がちょちょぎれる」名曲なのである。勿論、その背景には、戦争を一早く終えて故郷に帰還したいという軍人の思いも込められているだろう。
そこで、埴生の宿については、映画「ビルマの竪琴」の簡単な内容から取り上げ、リリー・マルレーンについては、過去記事からその女性像を追って見たいと思う。
埴生の宿
かって、内容はよく分からなかったものの、主演「中井貴一」さんの映画「ビルマの竪琴」を鑑賞したことがある。これは、小説「ビルマの竪琴」(竹山道雄・作/中央公論社。1948年10月)を映画化した作品である(1956年&1986年)。
そして、その映画でメインとして歌唱されていたのが「埴生の宿」であった。
その原曲は、「Home, Sweet Home」(楽しい我が家)で、1823年の作詞/ジョン・ハワード・ペイン(米国人)、作曲/ヘンリー・ローリー・ビショップ(英国人)である。訳詞は里見義(さとみ ただし)。
この曲は、讃美歌第2編147番の「こがねの城を経めぐるとも」としても、使用されている(https://www.youtube.com/watch?v=Uwz6sddRrhE)。
https://www.youtube.com/watch?v=-oPmW7Xa5Fk
https://www.youtube.com/watch?v=et_yq7CH1NU
https://www.youtube.com/watch?v=tX1vvAGmskc
なお、この曲は「イングランド民謡」とも言われている。
映画の内容は、端的に言えば「第二次世界大戦の末期、ビルマ(現・ミャンマー)戦線でイギリス・インド軍と戦う日本軍が包囲される中、日本兵が「埴生の宿」を合唱すると、それに合わせてイギリス兵も『Home, Sweet Home』を唱和する。」というものである。
その「埴生の宿」の竪琴演奏を担っていたのが、主人公「水島上等兵」であった。その後、終戦に応じない小隊を降伏説得するため、竪琴を携えた水島上等兵が説得の使者として赴くことになったが、そのまま消息を絶ってしまった。
やがて、水島上等兵に似た、オウムを肩に乗せ竪琴を携えた青年僧侶が姿を現したので、隊員が声掛けするも、ただ素通りするばかりであった。そして、日本軍が日本に復員する前日になって、「埴生の宿」を合唱すると、その青年僧侶がそれに合わせて竪琴演奏をしたのである。
隊員たちは水島上等兵だと確信して「一緒に帰ろう!」と呼び掛けるも、青年僧侶は「仰げば尊し」(※1)を弾くだけで森の中へと消えて行った。
その後、水島上等兵からオウムを通じて届けられた手紙には、ほぼ死にかけたことや(白骨街道に)累々と横たわる日本兵の屍を弔うため現地に残り、僧侶として生きること等が記されていた。😢
水島上等兵のモデルになったのは、群馬県雲昌寺の住職「中村一雄」さんと言われている。ビルマでの無謀とも言える史上最悪の作戦「インパール作戦」は、軍上層部(司令官牟田口廉也陸軍中将)の精神論ばかりを強調した無能さを露呈した。
その結果、約3万人が命が失われたのである。まさに、無能な指導者に付いたがため数多くの隊員が死亡した、映画「八甲田山」(1977年東宝)と同じであった。
(※1)「仰げば尊し」の原曲は、「Song for the close of School」である。作詞はブロスナン、作曲はH.N.Ⅾ。楽譜がアメリカで発見されただけで、その詳細は不明。
その曲は、次のとおりである。
https://www.youtube.com/watch?v=6lVD_Ntf_m8
https://www.youtube.com/watch?v=GeGicMA-u-s
リリー・マルレーン
他方、リリー・マルレーン(Lili Marleen)については、次の過去記事を書いている。
ジェット機等の見える部屋からタイムスリップして、「リリー・マルレーン」を歌唱 - 諦観ブログ日記(2020年4月12日)
https://www.youtube.com/watch?v=FNbWn9YOghY(1981年西ドイツ映画「リリー・マルレーン」より)
https://www.youtube.com/watch?v=zgjnOJbbil0(梓みちよ歌唱分)
「リリー・マルレーン」の歌は、1941年頃の一時期、ベオグラードのドイツ軍放送局で流されていたのを、アフリカ軍団のドイツ兵のみならず、イギリス兵ともども流行したそうである(※2)。
さらに、フランス兵、アメリカ兵やソ連兵にも人気になったようである。そのため、「平和の歌」とされている。
https://www.youtube.com/watch?v=8IvfagR-38k(ララ・アンデルセン歌唱 ※2)
おわりに
以上、埴生の宿&リリーマルレーンに共通しているのは、戦場で歌を通じて敵・味方同士が一体となって名曲に共感していたことが解る。まさに「戦場ノスタルジー」を共有していたのである。
これらの戦場ノスタルジーも、今は昔のこと。
「久しき昔(思い出)」(Long, Long Ago。日本語詞/近藤朔風(古関吉雄)、作曲/ベイリー/イギリス民謡 。1833年)
https://www.youtube.com/watch?v=bJ2EKGG8pXI
https://www.youtube.com/watch?v=XgjWVJc3tFI
https://www.youtube.com/watch?v=sOQCsXO_P2k
そんな涙ぐむ戦史がありながらも、現在、ミャンマーでは民主化勢力等と軍事独裁政権が内戦状態にあり、ウクライナではロシアの侵略戦争が繰り広げられている。しかも、軍事独裁政権の崩壊は未だ遠く、又ウクライナは、反転攻勢の失敗から劣勢に立たされている。
この際、「埴生の宿」又は「リリーマルレーン」のような名曲の出現・唱和により、一刻も早い戦争終結が望まれるものである。
「無理が通れば道理引っ込む」という悲惨な戦争の歴史は、決して繰り返えされてはならない。