諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

勿体ない(≒ That‘s a waste)思想の破綻も!(私見)

今週のお題「夏を振り返る」

お題「これって私だけ?」

 

 今日は、晴れ時々曇り。朝方は涼しいものの、午後からは非常に暑い。

 

 

はじめに(水道栓等蛇口の異変)

 

 夏は水をよく使うせいもあってか、又経年劣化のためか、今年の夏、水道栓金具や洗面所用水栓金具(蛇口)に、相次ぐ異変が生じた。

 水の出具合がおかしいのである。 具体的には、水が散水状態で出てくる。

   それぞれ、蛇口を取り外して内部を調べて見ると、蛇口金具内のプラスティック網目が一部破損していたようである。

 

 通常、蛇口内部のことまでは分からないといえ、いずれにしても、交換だけで済みそうなのが幸いであった。

 そこで、蛇口を取り外し、ホームセンターに行って部品交換をした。水道蛇口は既製品があったのでこれを購入した。500円弱の値段だった。

 ところが、その何日か後、洗面所用水の蛇口部品の交換に行った時には、既製品がなく、メーカー取り寄せということであった。

 

 水道関係部品については、汎用品とそうでないメーカー独自のものがあるということである。しかも、そもそも、洗面所用水の蛇口金具自体は、ホームセンターで取り扱っていないとのことであった。 

 しかたなく、電話で自宅からメーカーの部品購入部に電話をかけ、取り寄せをしたところ、昨日それが届いた。❶小さなプラスティックの網目が入った蛇口先端部分(泡沫金具)と❷小さな輪っかの金属部分(ストレーナー)で、小封筒でも入るぐらいの大きさである。ところが、中身のサイズに相応しくない大きな箱に入れられて郵便小包として届けられた。

 

 それらの値段につき、❶は640円、❷は970円、そして配送料は500円の計2,110円であった。 

 それにしても、❷はまだ使用可能であったはずなのに、一緒に付けて送られ、かつ値段も高いと思ったものである。多少は勿体ない気持ちになった。

 そういうこともあって、今回は、「勿体ない」という言葉から、色々あれこれと考えてみたい。 

 

「勿体ない」言葉の意味するもの

 

 「勿体ない」という言葉は、日本独特の言葉又は考え方から来ており、日本独自のものと言われている。しかし、後掲記事によると、英語にも似たような言葉があるという。例えば、「That‘s a waste」又は「wasteful」である。和訳は「それは浪費である」ということである。

 

 日本で「勿体ない」は、「価値あるものが粗末にされて惜しい」という意味に使用され、「物を粗末にしてはいけない」という、仏教的な道徳的価値観を有する文化に根差している側面もあろうか。

 

 他方、欧米では大量生産・大量消費文化が象徴するように、又、人さえ無用になれば簡単にクビにし、切り捨てる文化が根差されている?ためか、人・物を大切にする心というより、それらが如何に、経済的合理性に叶うものかを基準にして、無駄か否かを判断しているようにも思われる。

外国人にどのように説明しますか?日本独自の言葉「もったいない」 | Otsukaresama blog

「もったいない」と浪費をいさめる英語表現 | Weblio英会話コラム(英語での言い方・英語表現)

「もったいない」は英語で表現できる! | 英語学習サイト:Hapa 英会話

 

 おそらくそのためであろうか?

 日本と欧米との無駄に関する文化の違いが「勿体ない」という言葉を通して、露骨に表れているようである。つまり、不要になったものを躊躇なく捨てるかできるだけ他で活用するかの違いにあると思われそう。

 

 欧米の経済的合理主義の思想と異なり、少なくとも、バブル崩壊前の日本では、人・物を大切にする思想が満ち溢れていたはずである。

 ところが、現在、日本は新自由主義が跋扈するグロバリゼーションの俎上状況にあり、その波に乗せられて、完全に欧米的合理主義に嵌ってしまっている。つまり、人・物を大切にする文化、つまり、「勿体ない」思想を具現化する文化が後退しているのである。

 

日本人の「勿体ない」思想という強みが減退へ

 

 歴史的に、明治時代以後、他の国と異なり、極東アジアの弱小国日本が、欧米列強各国に伍するぐらいにまでに国がある程度豊かになれたのは、人的繋がりの強固さ、つまり、日本人としてのアイデンティティ(identity)意識と結束が、大きく貢献して来たものと言えそうか?

 

 一方で、そのマイナス評価として、一般国民(明治憲法下は「臣民」と言われていた)に対する、無駄とも言える多大な血の犠牲を強いて来たということも指摘されよう。その時代における問題は、人権蹂躙が極端であったことにある。特に、自由主義者である学者等有識者を、共産主義者呼ばわりのレッテル張りをして(今でも、その名残があるようか?)大学を追放し、彼らから学問の自由を奪い、又は、憲兵による民主主義者の拷問等が記憶に止められている。

言論弾圧に関するトピックス:朝日新聞デジタル

 

 それでも、戦後になり、昭和の高度経済成長時期を過ぎた頃までは、戦前の名残がかなりあった。ところが、バブル崩壊時期からは、日本社会のこれまでの様相が一変したかのようである。

 そして現在は、かっての日本人同士の人的な繋がり面が分断化(例えば、正規・非正規労働組合者の分断と反目)され、歴史的に醸成された以前の日本人像(人格的紐帯。自助はさることながら、共助精神の謳歌)が壊れつつある(但し、戦前のような極端な人権蹂躙は、消え失せたというプラス面もある)。もしかしたら、既に壊れているのかも知れない。

 

 その事例が、❶容赦なき大規模なリストラ発動、❷人格無視のパワハラ横行、❸かって見られなかった多くの鬱病者創出、❹年収1億円をざらに超える高報酬の大企業役員等に対し、全労働者の4割近くを占め年収200万円台で生活に喘ぐ数多くの非正規労働者の存在、❺共助なき自助原則の確立、❻社会階層の2極化(富める者は増々富み、中間層の下層化が促進され、貧しき者は増々困窮化し、挙句に、ジャパニーズ・ドリームは夢のまた夢へと変貌)、等々であろう。

日産も大規模リストラを発表。もはや大企業でも終身雇用は危ういのか|もころぐ

スルガ銀行のパワハラ等問題事例はかなりスゴい~第三者委員会報告書より~ - 銀行員のための教科書

https://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2011/07/031-033.pdf#search=%27%E3%81%86%E3%81%A4%E7%97%85%E6%82%A3%E8%80%85%E3%81%AE%E5%A2%97%E5%8A%A0%27

役員報酬1億円以上の企業数が過去最高を更新、最高額はソフトバンクGフィッシャー副会長32.6億円:MONEYzine:資産運用とお金のこと、もっと身近に

https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=61202&pno=3?site=nli

あなたはどの階級? 「格差社会」から「階級社会」に落ちる日本 (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

 

 この点、アベノミクスにより、最近正規労働者も、さらに、旧民主党政権時代(安倍晋三首相は悪魔の時代であったと批判)の雇用労働者数より増加し、成果があるでないかという指摘もある。そのことは、庶民が飢餓を免れさえすれば、それで良しとする前提に立ってのことだろうか? 

 しかし、次の記事には、その有り様乃至その中身が問題である旨が指摘されている。

「雇用改善」でアベノミクスを評価する過ち – 集中出版 SHUCHU PUBLISHING

〈 #アベノミクス 雇用改善の不都合な真実〉若者就職内定率と有効求人倍率が最高の原因=若年人口減+労働者使い捨て+高齢化で介護福祉労働増+名ばかり正社員増+生活苦で勤労学生増+低年金で高齢ワーキングプア増 | 福祉国家構想研究会blog

アベノミクスの「成果」を示すデータ集 - モノシリンの3分でまとめるモノシリ話

消費増税 ロスジェネ世代、収入増えず「生きるのに精いっぱい。負担しかない」(産経新聞) - Yahoo!ニュース

 

 さらにこれまでは、例えば、従来の日本が、人を育て国家のために役立つ人材を作出することに専念していたのに、その人材を海外に奪われることを余儀なくされている。今や、東大・京大の優秀な学生の人気就職先が外資系企業ということに至っては、人材面で日本国家にとって、「勿体ない」ことをしていると言えるのでないだろうか。

東大・京大生が選んだ「就活人気100社」 トップ10社中8社が外資系 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 

 ところで、話は少しそれて、プロ野球の話になるが、広島東洋カープは若い選手の育成に定評があるも、彼らが球界を代表する超一流選手になると、阪神タイガース金本知憲新井貴浩選手)や読売巨人ジャイアンツ(丸佳浩選手)の金満球団に引き抜かれるという点で、少しだけ似ているように思われる。カープファンにとっては、勿体なくもあり、又切歯扼腕の思いもあろう。しかし、仕方のないことでもあろう。

 それと似たようなことが、日本の優秀な人材活用においても起きているような気がしてならず、重ねて「勿体ない」と言いたい。

 

「3R」の最大限活用促進の必要性

 

 物的面に関し、技術革新の急変下にある現世の中にあって、物が「勿体なく」なる(例えば、旧来の機種が使用不能により捨てる)のは、ある程度仕方がないにしても、その対処方策としての「リデュース(Reduse)リユース(Reuse)リサイクル(Recycle)」の「3R」が、まだまだ不十分であろう。

リサイクルの現場最前線! 粗大ゴミが宝の山に変わる瞬間(FRIDAY) - Yahoo!ニュース

 それはおそらく不要になった廃棄物の捨て場に困り、そのことが社会問題又は環境悪化問題として深刻化して、やむを得ず「3R」を実行せざるを得なかったという消極面からの発想により考案されたが故と考えられそう。

 

 そもそも、日本には「勿体ない」思想があったのであるから、将来いずれ不要な廃棄物となり得る物をただ作るというのでなく、その先の利用できる用途までを念頭に置いた製品作りをすべきである。なのに、そのようにして来なかった付けが来ているようである。

 今後そういう事態が現出する製品がある。一例として、寿命が20~30年と言われ、いずれ廃棄物になる膨大な数の「太陽光パネル」である。

太陽光発電の耐用年数は何年?パネルの劣化や予防方法 | あんしん太陽光発電エコの輪

 

 それにしても、人材面の海外流出等による「勿体ない」莫大な国費の注入という無駄は、将来、国家の存亡に関わることであり深刻にもなり得ようか。

 

「勿体ない思想」の復活は困難

 

 まず、物について、その技術革新の急激な進歩と、大量生産・大量消費は、必然的に「勿体ない」思想を鈍化させよう。未だ使用できるものでも時代に合わなくなって捨てたりしなければならない。例えば、現代はアナログ製品(テレビ・カメラ・携帯電話等)がデジタル製品へとほとんどすべて変わったように。

 

 この場合は、上記の「3R」により、勿体ない思想を、多少後退せざるを得ない。そこで、例えば、ガラケーガラホスマホと併存した社会を構築できないものだろうか?

 いずれ5G通信が主役になることは確実であり、その時には、スマホ一色になることは間違いないから。

 

 さらには、例えば、リチウムイオン電池にしても汎用の規格品をつくるべきであろう。現在、各メーカー、そして各製品にてまちまちなのである。汎用性がない。このことは、勿体ない思想に背く「会社の儲け第一主義」のなせる業であろう。当該製品の製造が取り止められれば、それで無用の長物になるのである。

 このことは、ほとんどすべての製品に当て嵌まろう。勿体ないことである。やはり、乾電池のように、汎用の規格品を作るべきである。

 

 次に、人材作り面に於いて、多額の国費を投じて育て上げた学生(医学生等)や研究者をもっと大事にする研究環境を国は構築すべきである。昨今、時の政権に批判的だからと言って学者らを排除している感が否めない。特に、文系学者にて顕著である。

 国立大学を経済面で真綿のように締め上げているのである。その反面、私立大学は、定員不足がたくさんあり不要と思われるのに、それでも新設大学作りや新設学科を容認し、多額の私学助成金交付名目の出費をなしている。

 

 研究者を大事にするよりは、天下り先の確保とか、時の政権の言いなりになるような大学作りを目指しているとしか思えない。何のための人材育成なのであろうか?

 大学の自治が直接・間接的に危機に瀕し、そのため、国家の衰退を招来し兼ねない政策をとっているようでもある。

 

 なぜなら、天下り官僚等の出身者に、世界に通用する革新的発明は生まれようもないはず?であろうから。博士号のない彼らを教授に任命することは、国家利益にとって多いなる損失であり、勿体ないことの象徴であろう。政権の代弁者が学問の府である大学に教授として加わることは、百害あって一利なしと思いたい。

霞が関全省庁「天下りリスト」 官僚受け入れ大学トップは京大!

【主張】文科省の天下り 大学を役人天国にするな(1/2ページ) - 産経ニュース

 

 しかし、文科省はこれを今後幅広く推進しようとしている。

 こんなことをしていると、日本は何時か後進国へとなり下がり、やがて国が滅ぶ可能性もなきにしもあらず?ということを、国民は甘んじて受けて良いものだろうか?

 否、良くはないだろう。例え、そのようにしても(現在そうなっているが)、少なくとも社会人教授には博士号取得を条件とすべきであろう。

「アカデミック教授」と「社会人(実務家)教授」の功罪について(私見) - 「余所(ヨソ)事でない」ブログ日記

 

おわりに

 

 この夏に異常を起こした小さな水道蛇口等の部品交換問題から、「勿体ない」という言葉が出、このことにつき、あれこれ考えるうち、世の中には多くの「勿体ない」ことが蔓延しているのでないかとの疑問が生じた。

 

 そこで、欧米的価値観である「経済的合理性」からのアプローチから、「勿体ない(wasteful)」という言葉に着目するにつけ、日本独自の、欧米的考え方を超えた人・物を大切にするという、より広い、かつ本来的意味の「勿体ない」という言葉に俄然価値を見出したのである。

 

 「勿体ない」言葉は、「物の価値」の問題はさることながら、「人材の価値」の問題に、より重きを置くべきだと考えるに至った。

 能力のある人材が世の中にたくさんいるはずなのに、果たして今の日本社会は、昔と異なり、その発掘に腐心しているのだろうか?将又、人材を適正に育成しているのだろうか?そして、会社等はこの疑念にどのように応えているのかが問題である。

 会社等は、勿体ないことをたくさんしているのではないだろうかという疑念である。

 

 というのも、日本がかって独走していた半導体有機ELエレクトロルミネッセンス)等の最先端科学分野で、日本の頭脳が韓国や中国に流出したことにあるという報道が頻繁になされた。人材をないがしろにした付けが、現在に至って来ている。勿体ない話である。このことは、現在でも、有用な人材などの大量リストラで他の科学分野にて起きる恐れがあり得よう?

 下手をすれば、往年の世界トップクラスの「科学立国」にも、翳りが見られる事態が懸念されようか? (-_-)

 韓国サムスンが日本人技術者引き抜き加速、人材戦略弱い国内勢 - ロイター

年収6千万円以上…中韓、日本技術者“切り捨て” 次に狙うは「原発」 (1/2ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ)

日本の科学技術はピンチ状態=韓国報道にもネットは否定的「ノーベル賞科学者を何人も出した日本の心配をする余裕が韓国にある?」 (2017年9月1日) - エキサイトニュース

大学の理系論文数20年間伸びず 競争原理導入、奏功せず | 共同通信

 

 以上、「勿体ない」という言葉を切っ掛けに、小難しいことを色々書いて来たが、今も盛んに咲く百日草の花を愛でて、気休めとしたい!(^-^;

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