6月22日、曇り。
(6月2日付け「キジバト目撃!」に関するブログ記事の追記分プラスα)
我が庭に植えていたモッコウバラの中に鎮座していた「キジバト」。その愛くるしい姿は、いわば「わたしのアイドル」的存在であった。(^^)/
ちょうど、第二次世界大戦中、ドイツ兵のアイドル的存在だった「リリー・マルレーン」(作詞ライプ、作曲シュルツェ/1938年)のように、「キジバト」は輝いていた。(^^♪
また、日本にあっては、「小泉今日子」さんが歌い、男性ファンを虜にした、「なんてったって、アイドル」(作詞秋元康、作曲筒美京平/1985年)のようでもあった。
(*‘ω‘ *)
なので、これまで、そっと温かく、かつ注意深く見守って来たつもりであった。
ところが、その後、いつの間にか、「キジバト」がモッコウバラの中から、忽然と姿を消した。人が近くによっても身じろぎもせず、愛くるしい目をしていた「わたしのアイドル」。愛着があっただけに誠に残念である。
その中、「キジバト」が占拠し、動かずにいた場所を確認してみると、やはり「キジバト」が巣を作っていたのだ(当初は、どうだか確信が持てなかったのだが)!
しかも、巣に卵が一個あった。
その様子は、次の写真(2枚)のとおりであった。


(6月10日、「キジバト」がいなくなって間無しの卵1個を、カシオのデジカメで撮影。)
一般に「キジバト」の巣は、粗末なものだと言われている。しかし、小枝を器用に編んで作られた、結構立派なように見える巣であった。そのため、下からも脇からも、抱卵していた「キジバト」の卵の確認ができないでいた。
その後、「キジバト」がいなくなって約2週間。卵はふ化しないまま、次の写真(2枚)のとおり、現在も放置されたままである。卵に極小さな穴のようなものが見られる。


(本日、放置されたままの「キジバト」の卵1個を、同デジカメで撮影)
キジバトが抱卵を放棄したのか!
放棄の理由を考えるに、天敵が近づけるような場所に巣はないので、蛇等の天敵が原因とも思えない。理由はふ化の失敗が濃厚(有精卵でなく、無精卵だった可能性も?)のようか。しかし、「キジバト」は、どうしてふ化失敗の見極めができるのであろう?鳥の本能なのか?
これで、当初は確認できなかったものの、人が近づいても、「キジバト」が巣から離れようとしなかった理由は、抱卵していたためだということが判明した。
わたしが、「キジバト」に気づき見守って来たのが1週間以上であったが、それ以前から抱卵が続いていたようなのか?
思うに、通常、卵を温めてから2週間ぐらいでふ化するとなると、ふ化に失敗し、抱卵を諦めたと考えるのが自然であろう。
唐の詩人「白居易(白楽天)」の長編叙事詩「長恨歌」にある「比翼の鳥」のように、仲睦まじく、せっせとオス・メス昼夜交代で抱卵していたのを現認している。しかし、その後の「キジバトのつがい」の行方は、ようと知れない。
抱卵放棄後、「つがい」を解消したのだろうか?それとも、夫婦げんかで「つがい」は抱卵を放棄したのか?「つがい」の一羽に不慮の事故が遭ったのだろうか?
または、別の場所で再び巣作りを始めるつもりでいるのか?真相は不明。
それにしても、わたしのアイドルだった「キジバト」について、その行方が案じられてならない。(*'ω'*)
『抱卵放棄!』 - ふみ屋 - 西東京のクリスマスローズ農場
「幸運をもたらしてくれる鳥」と言われていただけに、我が家の庭からいなくなるというのは残念である。(=_=)
その余波は、やがて我が家に及び、何か不吉な兆しをもたらす出来事がありそうに思えて、仕方がない!(>_<)