諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

小さな「緑化運動」の破綻か?(>_<)

 今日は曇り。過ごしやすい一日となっている。

 

 今日、自宅敷地内の周囲に植え、青々としていた「つる草木」を取り除いた。枯れ葉が隣の敷地内に落ちたり、また、枝が隣にまで伸びていた。そして、それらが隣人に酷く迷惑になったと思われた折には、断りを入れ、落ち葉を拾い集めたり、枝を除去したりしていた。しかし、それをするのも面倒になったからである。

 

 国が推進する「緑化運動」とは、植樹などにより国土の緑を豊かにする運動のこと(大辞林第3阪)を言う。その目的の核心部分は、はげ山や荒地の森林化を目指すものといえ、その周辺部分に、住宅、工場等も含まれている。

緑化運動(りょっかうんどう)とは - コトバンク

 

 その運動に、細やかではあるものの協力しようとした切っ掛けが、「つる草木」の植え付けであった。当初はさして管理に苦にならなかったものの、伸びすぎてしまうと、冒頭に述べたような手間暇のかかる面倒なことが生じてしまったのである。

 

 つらつら思うに、新興住宅地には、草木や花を植えている所が多くはない。さらに、昨今流行りの、相続税回避等のために建築されている新築アパートに至っては、ほぼ皆無である。

 それはある意味、無理のないことでもあろうか。植樹に至っては最初のころ、手間暇かからず、そのまま放置してよくても、大きくなった折には管理が大変なのである。それが、枝の伸長であったり、枯れ葉の処理である。

 場合によっては、それらは、近隣トラブルにも発展し兼ねない。

 さらに草花については、日ごろの手入れも大変である。

 

 新興住宅に住む共働きの若い世代にとっては、仕事で疲れて、草木や花の管理どころではないだろう。また、新築アパート経営者にとっても、できる限り管理経費を節減しようとする思惑から、植樹等の管理に無駄金を使いたくないだろう。

 

 緑化には、温暖化防止対策(草木の緑が、放出されているCO₂を吸収)のプラス面もある。ところが、従来の緑地を宅地に変更して新築建物の建造が盛んである。市街化調整区域の市街化区域への編入もその現れの一つである。盛んに、田んぼを減らして宅地造成化しているのである。小さな緑化運動の破綻への階段を一歩一歩上っているようか?

 小さなこととは言え、国の進める「温暖化防止対策」が、実情としては「温暖化促進化」を来たしているのである。

 

 かたや、国土緑化推進委員会の目指す「緑化運動」(植樹祭、緑の羽根募金等の啓蒙活動)政策。こなた、田んぼなどの緑地を宅地造成化して緑を無くす新築住宅促進政策。

 一体、これらの間に、どういう整合性を保たせるのであろうか?

 

 昔の人は必ずと言って良いほど植樹をし、又、花を愛で、近隣同士が話のタネとして、それらを褒め称えあったようである。現に、近くの昔から住んでいる家々には必ず、木や花が植えている。その代り、駐車場らしき場所がないようである(奇しくも、今日、近くの昔からある家で、植木の場所を潰し、駐車場にする工事をしていたのを見掛けた)。

 この家人らに、温暖化防止対策として木や花を植えている意識はなかったであろう?昔から、そうしていたということだけだったであろうか?

 

 ところが、今は、時代状況の大変化なのか、又は、金満主義のなせる業なのか?将又、新自由主義の所期する結果なのか?

 昔の諺にある「花より団子」主義が、完全に浸透しているように思われる。

 しかし、長い目で見ると、この「花」は小さな「温暖化防止対策」に役立っていた。なのに、そんなことより「金・金・金」という図式が、優先して成り立つ世の中になっているようだ。

 

 確かに「金!」は大変重要である。特に「男」にとっては、言わずもがな!(^_-)-☆

 小さな「緑化運動」の破綻への序章は、今始まったばかりであろう?(>_<)