昨日は曇りのち快晴。今日は曇りのち晴れ。
昨日、今日の「花鳥風月」
昨朝は、薄曇を通して太陽を目撃した。
その様子は次の写真(1枚)のとおりである。
その後、薄雲が取れて晴れになった折、遠くの電線に「モズ子」さんが止まっているのを目撃した。心癒される鳥である。
その様子は次の写真(1枚)のとおりである。
この場所が「モズ子」さんの所定位置になったのだろうか?最近、近くには寄って来ない。
しばらくして、日航機やANA機は撮り逃すも、「スプリングジャパン機」が空を飛んでいたのを、撮影できた。
その様子は次の写真(1枚)のとおりである。
タマ(格納扉の前輪)出しを見ると、何かしらホッとする気持ちになる。コロナ禍になって、田んぼの空を飛ぶジェット旅客機は、この飛行機、日航機、ANA機やIBEX機ぐらいである。外国機は全く見られない。
今日は、これまでにも増して、自宅の庭に植えている「金木犀」の甘い香りが周囲に漂っている。
その様子は次の写真(1枚)のとおりである。
「金木犀」の放つ甘い香りを嗅ぐと、心が癒されるよう。昨年は花咲きが悪かったので、今年になって剪定したので、花咲きが良くなったようである。
はじめに
今回のテーマは、癒しの音楽として最適な「別れに纏わるレトロな名曲」の紹介である。
別れは、一般的に辛く悲しいものである。例えば、かけがいのない愛する家族(恋人や犬猫のペットを含む。)の死や恋人との永遠の別れ等である。
そして、その嘆き哀しみを癒すため、その人にあった曲を作ったり、名曲を口ずさんだり又聴いたりもする。しかし、そうでない人もいようか?
音楽は喜怒哀楽の発露に限定されるのか
人の感情表現としては「喜怒哀楽」がある。そしてそれを音として楽しむのが、文字通りの音楽と言えそうである。しかし、怒りや悲しみを音で楽しむという意味での「音楽」には違和感がある。
この点について、音楽とは「音の芸術(goo辞書)」ということであるなら、音楽そのものは「喜怒哀楽」の発露としての音を楽しむことを、直接の目的としていないようか。
また、現代大流行の「無感情状態」というのもあり、その無感情の発露として音を発する芸術に親しむという場合もあるだろう。
つまり、音楽は、感情の発露として音を楽しむ芸術に限らないと言うことである。
感情の発露としての音楽
とは言え、昔から、通例として「嘆き悲しみ」や「怒り(注1)」の感情表現を、歌(音)で表現されて来た。
例えば、次のアメリカ民謡等が典型的である。
❶ 「仰げば尊し(https://www.youtube.com/watch?v=ERuAlRzITX0)」
❷ 「ヤンキードゥードゥル(https://www.youtube.com/watch?=vdGYMazN7UI)」
❸ 「モーツアルトのレクイエム「怒りの日(https://www.youtube.com/watch?v=RUBcCqFdzQQ」)
「新自由主義の隆盛」の昨今にあって、例え、為政者により、多くの人間が無機質にされて豊かな感情表現が失われようとも、多くの庶民から感情そのものをすべて奪い去ることはできないはずである。
感情豊かな人間性が軽視される世の中において、不安定な感情を癒すための「ヒーリング音楽」はその役目を終えないばかりか、より一層明日に向けての鋭気として重視されるべきであろう。
そして、別れに纏わる癒し効果のトップクラスのポップス(シャンソン)としては、「別れの詩(Un dernier mot d'amour)」という名曲がある。
別れの詩
シャンソンの「別れの詩」については、次の過去記事を書いている。
「ボタン」の掛け違い(ネタに窮す)!? - 諦観ブログ日記(2019年4月24日)
想ひ出の名曲を辿るジェットの旅(28)~「Un dernier mot d’amour (別れの詩)」~ - 諦観ブログ日記(2021年11月6日)
名曲探索のネット旅で見付けた「好きなレトロな名曲10選」 - 諦観ブログ日記(2021年11月24日)
何度取り上げ、繰り返しになろうとも、飽きないくらいの名曲中の名曲である。
この曲の原曲は、ブラジルの国民的歌手「ロベルト・カルロス(Robert Carlos)」が作曲し、歌唱している、次のブラジリアン・ポップス「Os Seus Botöes(ボタンを外して)」である。https://www.youtube.com/watch?v=twBbx-SnBwY
この歌い方だけでも素晴らしいのに、これが、フランスのシャンソンとして根付くことにより、より一層素晴らしさが増している。
それは、フランスの女性歌手「Mireille Mathieu(ミレイユ・マチュー)」が歌唱している、次の「Un dernier mot d'amour」(邦題名/別れの詩。1978年)である。
https://www.youtube.com/watch?v=46Zy1I6sSUE
https://www.youtube.com/watch?v=E2k83GslD-c
https://www.youtube.com/watch?v=7zuQqUcwJu0
日本では、シャンソン歌手「ケイ潤子」さんが、「別れの詩(わかれのうた)」(日本語詞/山川啓介、作曲/ロベルト・カルロス)として歌唱している、次の歌い方も素晴らしい。
https://www.youtube.com/watch?v=11VGXVoBK3k
日本人シャンソン歌手の見本とでも言えようか。ただ、「ニワトリ小屋の前から」云々の観客の声が邪魔である。
なお、「別れの詩」関連の別の作品としては、演歌歌手「藤圭子」さんが歌唱している、次の「ある別れの詩」がある。
https://www.youtube.com/watch?v=GGRrvj9Q2uY
「詩」を「うた」と読ませることに、作詞家の特別の思い入れがあるのだろうか?
別れの歌(曲)
さらに、「別れの詩」ならぬ「別れの歌(曲)」もある。いずれも、意味は同じであろう。
それは、以下のとおりである。
❶ 「グラシェラ・スサーナ」歌唱(曲名/別れの歌)
https://www.youtube.com/watch?v=hGpgh0fQH1w
❷ 「前野曜子」歌唱(曲名/別れの詩。上記❶のカヴァー曲か?。1977年)
https://www.youtube.com/watch?v=mt4YKKJdvLc
さらに又、クラッシックの大作曲「ショパン」のエチュード3番ホ長調 op.10の3によるのも大変有名である。
❸ 「フジ子・へミング」ピアノ演奏(曲名/別れの曲)
https://www.youtube.com/watch?v=fKuv_Xp7BOc
❹ 「マントヴァーニ・オーケストラ」演奏(同上)
https://www.youtube.com/watch?v=rlgKH-iB6lo
❺ 「ダークダックス」歌唱(曲名/別れの歌。訳詞/堀内敬三)
https://www.youtube.com/watch?v=p8AsZppigMw
❻ 「平原綾香」歌唱(曲名/別れの曲)
https://www.youtube.com/watch?v=bVEBknrhjIc
なぜか、「ダークダックス」歌唱分は、曲名が「別れの歌」となっている。
おわりに
音楽は、文字通り「音を楽しむ」というよりも「音を使用した芸術」であることからして、怒りや嘆き悲しむということを音で表現することも「音楽」である。
というのも、人は昔から「喜怒哀楽の感情」を音で表現することをしてきたが、怒りや嘆き哀しみを音で楽しんできたわけではないはずだから。また、無感情による音楽表現もあり得ようから。
しかしそうとは言え、一般的に、音楽は嬉しいから又楽しい気分だから、口ずさんで音を歌として楽しんで来たのは、間違いない。その意味で、人々は、「音楽」を文字通り、音として楽しんで来たのである。それは「狭義の音楽」であろうか。そして、喜怒哀楽の発露としての音楽は「広義の音楽」とし、さらに無感情による音の表現を含めて、「最広義の音楽」と、独断で定義付けすることにしたい。(-_-;)
そんな喜怒哀楽の発露としての音楽のうち、癒しにもってこいの一つに、「別れに纏わる名曲」があろう。
愛する、かけがいのない家族(恋人や犬猫のペットを含む。)と、死別等による永遠の別れにみまわれることは、辛く悲しいものである。
その辛く悲しい状態を癒す一つの方策として「音楽鑑賞」の効用がある。
そして、その数ある作品の中でも、上記「山川啓介」さんが日本語詞として書いている「別れの詩」は、名曲中の名曲に一番フィットしている。
特に、歌詞フレーズ中の「血を吐くような 苦しみも 何時の日か 忘れるでしょう」は、曲名の「歌(曲)」を「詩」と日本語詞にしたように、別れによる極上の嘆き悲しみを如実に表現している。
思うに、この言葉は「日本名言集(注2)」の一つに取上げても通用するのでないだろうか。
(注1)
最近の世相としては、以下のような市民の怒りが噴出していた。
❶ 「国葬反対」デモ
安倍晋三元首相の国葬に反対のデモ 各地で - YouTube
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/164021?display=1
❷ 「旧統一教会問題」デモ
統一教会本部前デモ、LIVE配信アーカイブ 9月10日(土) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=saXMdjgeFfA
(注2)
1997年11月24日、旧山一証券「野澤正平」社長の記者会見における号泣発言
「みんな私ら(経営陣)が悪いんであって、社員は悪くありませんから」