今朝はおおむね快晴。
今日は祝日「山の日」。
祝日「山の日」の振替休日に目撃のトンボは? - 諦観ブログ日記(2024年8月12日)
今朝、スプリング・ジャパン機が飛んでいるのを目撃した。
その様子は次の写真(2枚)のとおりである。


スプリング・ジャパン(SPRING JAPAN)の旧名称は「春秋航空日本」であった。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000012.000042769.html
もしかして、この改名は地球温暖化により四季が二季化したことと関係があるのだろうか(*´ω`*)?
いやそんなことは駄洒落の世界にあっても、実際は2021年親会社が変わった(中国の春秋航空から日本航空へ)ことによる改名である。
はじめに
今回、本シリーズの第3弾として、日本の歌謡曲において元歌よりもカバーが大ヒットした「四季の歌」を取り上げる。
2025年12月1日「2025 新語・流行語大賞」の発表があった。このトップテンに入ったのが、気候変動の「二季(にき)」である。
それは、地球温暖化(地球沸騰化)により春や秋の期間が短かくなり、「いまや夏と冬だけの二季になってしまった」と語られるようになった言葉を受けてのこと。
日本から四季がなくなるのは、そこから生み出されて来た歌や詩の文化もなくなって行くのに等しく、極めて深刻な事態である。と言うのも、日本の四季は世界にも類を見ない風物詩(春の桜、夏の花火、秋の紅葉、冬の雪)となって、数多の歌や詩が創作されて来たからである。
例えば、「春が来た 春が来た どこに来た」の唱歌「春が来た」や、「小さい秋 小さい秋 小さい秋 みつけた」の童謡「小さい秋みつけた」等。
とどのつまりは、将来「春は来ない」のでないかとか、「小さい秋すら見つけられない」のでないかとの懸念である。
四季の歌
そんな「四季」と言えば、1970年代半ば頃に日本で大流行りした、作詞・作曲/荒木とよひささんの「四季の歌」がある。
元々、荒木さんが1963年~1964年の日本大学の学生時代に作曲し、入院でお世話になった看護師にプレゼントした曲だそうである。それがボランティアを通じて口伝えに広まり、1972年に元歌としてのレコードが発売された。
そして、1976年カバー曲としてレコードが発売され、それが爆発的にヒットとして全国的に遍く周知されたのである。さらに、1981年に中国でも大ヒットした。


https://www.youtube.com/watch?v=w_Kxz2MVa5g
元歌「四季の歌」
「四季の歌」の元歌は、「いぬいゆみ」さん歌唱の「四季の歌」(作詞・作曲/荒木とよひさ、編曲/横内章次。1972年2月)である。
https://www.youtube.com/watch?v=gELXwp_ndcg
レコード売上は10.2万枚(https://x.com/70sJMF/status/2037173530794557475)
とヒットしている。ただ、この曲の導入部(イントロ)がドラマティックなおどろおどろしさになっているのは、この歌本来の持つ爽やかさにそぐわないように思える。
なお、いぬいさんはフォークを中心にして唄っていた女性歌手であった。
カバー「四季の歌」
そしてその4年後、大ヒットしたというカバー曲は「芹洋子」さんが歌唱している、次の「四季の歌」(作詞・作曲/荒木とよひさ、編曲/青木望。1976年8月)である。
https://www.youtube.com/watch?v=h0I1kzN91bU
https://www.youtube.com/watch?v=kz5eIUMl5no

レコード売上の公称は80万枚とされるも、他方で累計売上は100万枚以上突破とか、又200万枚との記事もあり、この点については錯綜しており明確でない。
しかしただ言えるのに、元歌よりもカバーの方がはるかにヒットしていたのは間違いない。
それにしても、ラジオ番組の電話リクエストが切っ掛けで「四季の歌」ブームが巻き起こっていたとは、「驚き桃の木山椒の木」である。と言うのも、一般的にテレビが火付け役となることが多いと思うからである。
なお、菅原洋一さんやボニ・ージャックス等の有名歌手による競作もあったが、「芹洋子」さんの歌唱分に比べて精彩を欠いていたようである。
「四季の歌」大ヒットの訳
それではなぜ、このような単純な唱歌風の歌詞やメロディが、日本人に受けたのであろうか?
それはおそらく、これまで「春夏秋冬」の季節を愛でて来た、純朴な日本人心を擽ったからに他ならないのでなかろうか。
例えば、清少納言作・枕草子冒頭の「春は曙」、江間章子作詞の「夏の思い出」、ベルレーヌ作「落葉」の上田敏/訳詞冒頭「秋の日のヴィオロンのためいきの」や、江間章子作詞の「雪の降る街を」に見られる四季の風情である。
荒木とよひささんは、「春・夏・秋・冬」という季節を愛でる人々に対し、四季の各風情に合わせて「春は心清き人(すみれの花≒友だち)、夏は心強き人(岩をくだく波≒父親)、秋は心深き人(愛を語るハイネ≒恋人)、冬は心広き人(根雪をとかす大地≒母親)」と擬えたのである。
つまり、「四季の歌」は、愛でる各季節に対応した人の性格と身近な人への思いこそが、純朴な日本人の心に響いたのであろう。
また、それと相まって単純極まりなくも親しみやすい一部形式の「四季の歌」のメロディは、例え音痴を隠して止まない人々さえも容易に歌える名曲となっている。このことも、大ヒットへとと繋がった可能性もある。
さらに加えると、美しすぎる「芹洋子」さんの歌い方に人々の心を捉えて止まない何か(例えば、女性好みの爽やかさ等)があったことも、確かである。
おわりに
ああそれなのに、昨今は「二季化」への懸念が大いに高まっている。四季が日本から消え失せる懸念である。四季の喪失は日本人の心の喪失であり、やはり、この歌を通じてでも地球温暖(or地球沸騰)化を防がなければならない。
そのためには、政府による緑化大運動や二酸化炭素排出の厳重規制等の実効性ある施策が必要である。
たちまちは、小さなところからでも始めてもらいたいもの。例えば、昨今の緑なき砂漠化したマンションや一戸建て住宅等に、自然緑化環境税を賦課することである。そしてその徴収した税金を、特別財源として自然の緑化のみに支出するのである。