諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

音楽著作権侵害問題考~卒業ソングの名曲「記念樹」が聞かれない(1)~

お題「これって私だけ?」

 

  

はじめに 

 

 かって、NHKで「あなたのメロディ」(1963~1985年)という視聴者参加型の番組があった。それは、NHKが公募し、全国各地のアマチュアが作詞・作曲した作品の中から優れたものを、プロ歌手が唄うというものであった。審査員として、作曲家の「小林亜星」さんや、作詞家の「なかにし礼」さん等がいたようである。

https://www.weblio.jp/wkpja/content/あなたのメロディー_あなたのメロディーの概要

 

 幼かった当時を振り返ると、それら作品の中でも、とりわけ印象に残っているのは、「難波寛臣」さんが作詞・作曲した「空よ」(編曲/小谷充。1970年3月発売。)であったような記憶がある。「トワ・エ・モア」が唄っていた。その曲は、音楽授業の歌唱でも唄われてもよさそうな、軽快で爽やかな感じがしたように覚えている。

https://www.youtube.com/watch?v=PLL-EJYztoo

 

 全国各地のアマチュアから作品を公募し、多くのメロディを集めるという試みは、従来の独占状態であった、プロの作曲家の作品から生み出される、メロディ創出の限界を打破しようとする挑戦でも、あったと言えなくはない。その意味では大歓迎であった。

 しかし、残念ながら、全般的に見て、「あなたのメロディ」で採用され、世に送り出された曲を見ると、やはり、プロには敵わないように思われた。

 「おいどん」的には、プロに比肩できたような曲は、「空よ」(1985年3月21日「あなたのメロディ」番組最終回のラスト曲で出演者が一斉に歌唱)や、「与作」等の極少数であったように思う。

 

 まぁ~、それだけ、老若男女誰もが楽しく思わず口ずさめる、新しい「メロディ作り」は至難の業なのである。そのため、メロディの一部乃至は多くが、音楽を構成する他の要素であるリズム和声を変えるのは言わずもがな、さらに、曲全体の構成(形式)を変えたりして、ある程度、どこかで聴いたような曲が出て来るのもやむを得ないような気がする。

 それは、プロの作曲家同士でも言えるのであろうか。

 

名曲「記念樹」盗作騒動 

 

  そんな中、フジテレビ放送のバエラエティ番組「あっぱれさんま大先生」のエンディングテーマ曲「記念樹」(作詞/天野滋、作曲/服部克久。1992年)が、盗作でないかとの音楽著作権侵害騒動が勃発した。

https://www.youtube.com/watch?v=emy6trY12qg

https://www.youtube.com/watch?v=7Cx6-M3fWoY

 

 それは、その「記念樹」が、1966年のブリヂストンCMソング「どこまでも行こう」(作詞・作曲/小林亜星)のメロディにそっくりではないかとの理由から、作曲者の「小林亜星」さんが抗議したことから始まった。

https://www.youtube.com/watch?v=dZq0J_dMLAU&list=RDdZq0J_dMLAU&start_radio=1

https://www.youtube.com/watch?v=iUQKNhJw5wc

https://www.youtube.com/watch?v=p5qsshkKiMo

  

 しかし、これに対して、「記念樹」を作曲した「服部克久」さんは、「小林亜星」さんからの抗議の申し出を肯ぜず、あくまでも「オリジナル曲」と主張した。

 双方の主張は平行線に終始し、解決策の糸口が見い出せない状態下にあったようである。それも、両者共に、作曲等を手掛ける著名なプロの音楽家である。

 まぁ~、著名なプロの作曲者間ですら、「盗作」云々の判断は困難なようなので、ましてや一般人ではなおさらのことであろうか。

 

「記念樹」事件の経緯及び結果概略

 

 双方の主張が平行線のまま折り合いがつかなければ、盗作されたと主張する「小林亜星」さんにとって、最後の手段として「紛争解決の場」である裁判所へ訴えるのは、至極当然の成り行きであろう。また、盗作を否定する「服部克久」さんにとっても、名誉回復をも併せて、法的に解決を望むことは、当然であったろう。

 

 裁判は、「ADR(裁判外紛争解決手続)」による、紛争解決が不能になったところに機能する面が通常である。しかし、昨今は、従前の考え方である「紛争解決への最後の手段」(ultima  ratio)としての裁判を利用する意味が、多少変わって来ているようである。例えば、「スラップ(恫喝)訴訟」の横行がその典型例である。

 

 これも、小泉政権が政策として進めて来た、「事前救済型社会」から「事後救済型社会」への一つの現れと見ることもできようか。「事前に規制する」のでなく、トラブルが起これば、その場限りで、紛争解決の場(裁判所)で決着をつけるという「事後に規制する」道筋である。

 

 1998年(平成10年)7月、❶作曲者「小林亜星」さんと、❷著作権(編曲権)者「(有)金井音楽出版」は、原告になって、「服部克久」さんを被告に、東京地方裁判所へ、❶複製による著作者人格権( 同一性保持権氏名表示権)侵害と、❷複製権による編曲権侵害に基づく各損害賠償請求の訴えを提起した(以下、「記念樹事件」という)。

 

 その裁判の経緯及び結果は、次のとおりであった。 

(1) 2000年(平成12年)2月18日、東京地方裁判所は、著作権法に違反しないとして、「小林亜星」さんらの訴えを棄却した。

(2) 2002年(平成14年)9月6日東京高等裁判所は、第一審判決を覆し、著作権法に違反するとして、「小林亜星」さんらの主張を認め、「服部克久」さんは、「小林亜星」さんらに対して、損害賠償金を支払えとの判決を下した。

(3) 2003年(平成15年)3月11日、「服部克久」さんは最高裁判所に上告申立てをするも、「上告不受理決定」がなされて、「小林亜星」さんらの勝訴が確定した。

 

 結局のところ、「服部克久」さんが作曲した「記念樹」は、「小林亜星」さんが作曲した「どこまでも行こう」の音楽著作権を、侵害(盗作)するものと裁判所に認定され、約3年8か月の年月を要して、法的決着をみたのである。

 そのため、「記念樹」は、「作曲/小林亜星編曲/服部克久」と表示し直して著作権者等から許諾を得ない限り、世に出られない幻の名曲(卒業ソング)として埋もれてしまうことになるのである。

 

 次回は、著作権法による「音楽著作権」の概略に触れて、その後、私見ながらも、下記の一審・二審判決内容について少し検討をしてみたいと思う。

            記

 ❶ 記念樹事件の「東京地裁判決文」

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/331/013331_hanrei.pdf

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/331/013331_hanrei.pdf#search=%27%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%A8%B9%E4%BA%8B%E4%BB%B6%27

 ❷ 同上事件の「東京高裁判決文」

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/656/011656_hanrei.pdf

 ❸ 最高裁のなした「上告不受理決定文」について、最高裁判例検索では、該当が無かった(紋切の定型文のためなのか?)。 

 

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(2月4日の早朝に撮影した「虹色模様」のような「雲」の写真)