昨日は雨。今朝は晴れ。

(6月17日朝撮影のノスタルジー)

(6月18日夕方撮影の細い月)

(6月19日朝撮影のANA機)

(6月21日朝撮影の山の風景)
作詞/北原白秋、作曲/山田耕筰の文部省唱歌「この道」がある。1927年(大正15年)2月24日に作られた名曲である。
https://www.youtube.com/watch?v=wxrvHcsz9WA
https://www.youtube.com/watch?v=cD4tC1HSerc
以前、次の記事に書いたのと同じような「定番の回想曲」でもある。
文部省唱歌「故郷」について(迷説) - 諦観ブログ日記(2021年8月21日)
文部省唱歌「赤とんぼ」への想い - 諦観ブログ日記(2022年9月9日)
成田為三の調べ(浜辺の歌):心を癒す詩 - 諦観ブログ日記(2026年4月3日)
いずれも、大正&昭和初期の時代に創作された作品である。
「故郷」(1914年発表)は、長野の田舎から東京の都会に出て来て、出世の機会を得ようと模索している最中、故郷に住む両親や友人のことを思い出している歌である。
「浜辺の歌」(1913年の詩、1918年作曲)は、朝方浜辺を散歩しているときに、かっての恋人(or姪)のことを懐かしんでいる歌である。
「赤とんぼ」(1921年の詩、1927年作曲)は、竿の先に止まっている赤とんぼを見て、幼少時代の「姐や」のことを懐かしむ歌である。
今回の「この道」は、現在歩いている「この道」が幼少時代に母親と一緒に通ったことのあるような道として思い出している。
この点について当初は、歌詞の「いつか来た道」からして同じ道かと思っていた。ところが、現在歩いている道と同じではなく、故郷にある道と似たような道とのことであった。
では、この歌詞の主人公は誰であろうか?
北原白秋はこの詩が「北海道風景であり、主人公は男の子(少年)」と注釈し、北海道を旅行していた40歳頃のおじさん自身(白秋)でないとしている(※1)。
そうすると、白秋おじさんが少年時代へとタイムスリップして札幌の景色を眺めながら、幼年時代の在りし日の故郷と重ね合わせているということになろう。
ここで、「この道」の全文を掲げて、それらを少し解説してみる。
❶ この道はいつか来た道 ああ そうだよ あかしやの花が咲いてる(※2)
❷ あの丘はいつか見た丘 ああ そうだよ ほら 白い時計台(※3)だよ
❸ この道はいつか来た道 ああ そうだよ お母様と馬車で行ったよ(※4)
❹ あの雲もいつか見た雲 ああ そうだよ 山査子(さんざし)の枝も垂れてる(※5)
この歌詞については、1、2番が北海道旅行中の札幌、3、4番は母の実家がある熊本南関町から福岡柳川までの道の情景を詠んだと言われている。つまり、北海道での道中事例を、在りし日の実家のある熊本から柳川への道中事例を重ね合わせた心象風景とされている。※5
それにしても、アカシアの花が咲くのは5~6月の春時分、山査子の赤い実が成り枝も垂れて来るのは9月頃の秋時分、それなのに何か季節が符合しないようである。
この季節の符合しない理由について解説している記事は見付けられなかった。
そこで思うに、現在見ている「あの雲も」は多分「白い雲」で、それと同じような白い雲を故郷で見たのは、9月の山査子の枝が垂れるほど赤い実を付けていた幼い頃の話であったのかも知れない?
いずれにしろ、「この道」の回想が白(アカシアの花、白い時計台&白い雲?)に赤(山査子の実)と色彩のコントラスをなして人々の心に訴えかけているのは、大変魅力的で感動的でもある。
※1 この詩は、北原白秋が40歳頃に北海道旅行中の札幌(北一条通り)を歩いていた時の情景を詩にしたとされている。
※2 アカシアの花は、北原白秋の故郷一帯で見られる「ニセアカシア」と言われている。「ニセアカシア」は5月~6月に咲く甘い香りのする白い花である。
https://www.pref.hokkaido.lg.jp/kn/tkn/hana/flower/hk010.html
※3 当時の札幌時計台の色は緑薄色(現在は白色)であり、また丘ではなく平地にある(札幌市時計台)。すると、「白秋」少年の目には、平地が丘に又緑薄色の時計台が白色に映ったのであろうか?
※4 北原白秋の母親に対する強い思慕の情が読み取れるフレーズであり、この詩の核心的部分でもある。原詩は「母さん」としていたのが、作曲者の山田耕筰の進言で「お母さま」に書き換えられたとのこと。
※5 山査子(さんざし)は4月~5月の春時分で白い花を咲かせるが、山査子の枝が垂れるほど多くの赤い実が成るのは、9月以降の秋時分である。
https://www.shuminoengei.jp/m-pc/a-page_p_detail/target_plant_code-901