諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

春の訪れと愛唱歌の思い出

お題「わたしの癒やし」

 

 昨夜は雨。今日は曇り時々晴れ。

 

(3月21日撮影のデージー)

 

 今日は春らしい暖かい一日であった。そろそろ、桜の花も咲き誇る時期となった。

    以前は、春になれば決まって「さくらさくら」(https://www.youtube.com/watch?v=7fahl47XcPA)や、「」(https://www.youtube.com/watch?v=yOm7wLJG0zs)等の唱歌が街中に流れていたものの、最近は全くない。

 

 その中でも、作詞/江間章子、作曲/團伊玖磨、1947年(昭和22年)作の「花の街」は、特に印象的であった。戦後のNHKラジオ番組から人気を博し、全国に伝播した歌曲である(https://www.youtube.com/watch?v=T63NovE_5lA)。

 そこはかとなく美しいメロディで、唱歌の中でも特に素晴らしい名曲である。NHKラジオから流れていた、「ダーク・ダックスが歌っている作品が素晴らしい。チェロ伴奏に乗せたのが聴き応えがある(https://www.youtube.com/watch?v=m1k_El4uogc)。

 

 ところで、この唱歌「花の街」について、歌詞が一部誤って歌われているということである。長らく音楽教科書にも掲載されて名曲として親しまれて来たのに、間違ったままそのままになっていたようである(焦土に描いた夢の風景「花の街」 神戸でも鎮魂の調べ:東京新聞デジタル)。 

 

 思えば、歌詞の間違いについて、以前、作家の故「川内康範さんが作詞提供した名曲おふくろさん」(作曲/猪俣公章)を、「森進一さんがその歌詞を一部改変したため、川内さんの逆鱗に触れ、今後これを歌うことを禁じられたことがあった。

森進一と作詞家がバトル! 『おふくろさん騒動』を振り返る - エキサイトニュース

 川内さんにとって、それほど精魂込めて作った歌詞への思いが強かったのであろう。

 

 ただ、花の街の作詞家「江間章子」さんは、歌詞の一部が間違って歌われて来たことに拘っていなかったようである。真相は不明も、それは作曲家の意向があった?とか言われているからかも知れない。

 

 歌詞の一部間違いは、1番の「歌いながら」を「春よ春よと」()に、同3番の「街の角で」を「街の窓で」にと、作詞家の思いと違って長らく歌われ続けているとのことであった(花のまち(花の街)歌詞と解説 七色の谷を越えて)。 

 そこで念の為、ユーチューブで確認して見た。

 

 まず、「ダーク・ダックス」、「ボニー・ジャックス」、「鮫島有美子」さんが歌う「花の街」では、3番の歌詞「街の角で」を、「街の窓で」と歌っている。

ボニー・ジャックスyoutube.com

花の街 鮫島有美子 - YouTube

 次に、「ダ・カーポ」、「ダーク・ダックス」、「ボニー・ジャックス」、「芹洋子」さん、「井原義則」さん、「小川明子」さんが歌う「花の街」では、1番の歌詞「歌いながら」を、「春よ春よと」と歌っている。

ダ・カーポ/youtube.com

芹洋子/花の街 - YouTube

花の街 井原義則 2012 - YouTube

小川明子 花の街 - YouTube

 それにしても、ユーチューブ上では、1番の歌詞「歌いながら」を、「春よ春よと」と歌っているのが多い。

 

 これらの間違いは、作詞家・江間章子さんに確認済みとのことであった(花の街)。確かに、1番の歌詞「春よ春よと」の方が響きは良い感じはする。しかし、作詞家の著作を無視して、間違ったままの譜面が使用され、歌手により間違って歌われる続けていることは、作詞家にとって不本意であろう。

 しかも、国定音楽教科書が間違いなら、なおさらのことである。

 

 そもそも、江間さんによれば、花の街は、「幻想の街」を想像して作詞したとのことである。

 1番、2番の歌詞からは、緑豊かな春の山間の谷を、美しい花びらが舞っていて、いかにものどかな春の歌声が聞こえて来そうに思われる。

 うららかな春の様子である。ところが、3番の歌詞から、事態は一転し、「泣いていたよ 街の角で」とか「ひとりさびしく ないていたよ」で、穏やかでない様子が看取される。

 

 しかし、3番の歌詞からでは、戦争で廃墟となった街の様子が窺えない。子供が親から叱られて、街角で泣いているだけのようにも思える。それだと、1番、2番の歌詞と繋がらない。

 やはり、「戦後復興への曙」のように感じるべきだろう。

 と言うのも、作詞家本人が「幻想の街」と言い、現実と幻想がないまぜ?になっているような状況下の旨を話しているから。

 

 ついでに言うと、3番歌詞冒頭の「すみれ色していた窓」についても、当初はうららかな様子と思っていたのが、次に進むにつれ、それとは異なり、おどろおどしく感じられるようになっている。

 まさに、戦争で廃墟になった、瓦礫だらけの中にいる人の有り様が窺えよう。

 

 それらのことを考えると、「街の角で」を間違うのは絶対譲れない部分であろうか。

 と言うのも、3番の歌詞こそが作詞家の言いたかった核心部分と思われるから。

 街の角で」「ひとりさびしく」「ないていたよ」のフレーズは、何とも言えない核心的雰囲気を醸し出しており、それ以外のフレーズは、この部分へのイントロのようである。であれば、1番の「歌いながら」を「春よ春よと」と歌っても目くじら立てるほどでもないように思われる。というのも、作曲家の意向があったという話もあるほどであるから。

  この点、個人的に、子供が歩きながら春を軽やかに歌う姿が窺え、「歌いながら」の方が良いと思うも、次の方は「春よ春よと」の方がぴったりしているとのことである。

團伊玖麿 花の街

 

※ ただし、「春よ春よと」が正しいのであって、「歌いながら」は後から修正されて歌われたとの正反対話もある。

 この点、「鮫島由美子」さん、「倍賞千恵子」さん、「鶫麻衣」さん、「幸田浩子」さん、橋爪明子」さんは歌いながら」と歌唱している。

https://www.youtube.com/watch?v=fZYAUWO10xo(倍賞)

https://www.youtube.com/watch?v=Onq_K_Nqs70(鶫)

https://www.youtube.com/watch?v=8y5iwYfc0Is(幸田)

https://www.youtube.com/watch?v=dlJsaxtwYAA(橋爪)

 いずれが正解なのであろう?

 

(断り書き)

 以上、次の過去記事を一部抜粋追加等の編集してリライトしたものである。

心に残る「愛唱歌3選」について (^.^) - 諦観ブログ日記(2019年3月15日)