諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

文部省唱歌「赤とんぼ」への想い

お題「わたしの癒やし」

 

 昨日は晴れのち曇り。今日は晴れ時々曇り。

 

 一昨日、古びた自転車の荷台の先に、ムギワラトンボシオカラトンボ)が止まっているのを目撃した。

 その様子は次の写真(2枚)のとおりである。

 

 このトンボは、トンボの中でも神様トンボ(ハグロトンボ)と同様に、人慣れしている。というのも、オニヤンマ、ギンヤンマやアキアカネと違い、しばしば人家に来て植木棒等に止まってくれるからである。

 

 そんな「トンボ」に纏わる歌の世界では、赤とんぼアキアカネ)がとくに有名である。それにしても、ムギワラトンボ等のように近くに止まってくれず、写真撮影ができないのが残念である。

 赤とんぼが有名なのは、文部省唱歌赤とんぼ」によるものである。小学生の頃は、その作詞の意味が解からずに歌わされたものである。それは、詩人「三木露風」が竿の先に止まっている「赤とんぼ」を目撃し、幼少の頃を思い出してノスタルジーに浸っている様である。

 このことについては、次の過去記事を書いている。

トンボ(蜻蛉)へのノスタルジー - 諦観ブログ日記(2021年6月10日)

 

 すなわち、三木露風は、❶竿の先に止まっている「夕焼け小焼けの赤とんぼ」を見て、❷子守奉公の「姐や」に背負われたこと、❸姐やと二人、又は祖父等を交えた家族が、山の畑に行き、そこで姐やと桑の実を摘んで小籠に入れた記憶さえもなくなりそうな昔のこと(姐やと過ごした、楽しい思い出の一つを表現)、❹姐やが15歳で嫁に行ったこと、❺「お里」のたよりが途絶えたことを、思い出したのである。

 

 では、次の歌手らが歌唱している、文部省唱歌赤とんぼ」(作詞/三木露風、作曲/山田耕筰。作詞/1921年、作曲/1927年)を、聴いてみる。

 (1)「山野さと子

https://www.youtube.com/watch?v=KMw61Vc4iyM

 (2)「小鳩くるみ

https://www.youtube.com/watch?v=nboZOoLt90E

 これを聴くと、特に、歌詞3番の「お里たよりが途絶えたことに、その意味をいろいろと勘繰らざるを得ない。というのも、この作詞の言わんとする核心部分であると思うからである。これについて、3説あることは上記過去記事で述べている。

 

 さらに、上記過去記事を補足してこの作詞の背景事情を言うと、

 ➀ 母親「かた」が銀行員の父親と、三木露風が5歳の時に離婚し、(兵庫県たつの市から離れて鳥取に帰郷したこと、

 ② 「かた」は元・鳥取藩家老の娘、

 ③ 「姐や」は「かた」の実家から派遣された子守奉公人、

 ④ 姐やは嫁に行った後にその消息が分からなくなったこと、

である。

 

 この点を踏まえ、上記過去記事を繰り返すことになるも、次のことが言えようか。

 「お里」の解釈としては、母親「かた」の実家とする有力な見解がある。確かに、後年に「三木露風」が母親を慕っていた言動があったことから、その見解があながち間違いとも言い切れない。

 しかし、「赤とんぼ」の作詞の文面だけを素直に解釈すると、幼少の「三木露風」と子守の「姐や」のみしか登場人物が窺えない。そうすると、「母親の実家」とするのは多少穿ち過ぎでないだろうか。従って、「姐やの実家」と解釈するのが穏当であろう。

 また、「(嫁に行った)姐や=母親のような存在」とする見解もある。これについても、三木露風にそこまでの感情があったとは思えにくい。あくまでも、「頼り甲斐のある、信頼できる、心優しい実姉」同然ではなかったかと思われる。さらに又、「お里」が、姐やの名前であったというのも、考えにくい。

 

 最後に、これも上記過去記事の繰り返しになるが、山田耕筰作曲「赤とんぼ」の冒頭フレーズ「ゆうやーけこやけーの」のメロディが、ドイツ・ロマン派の大作曲家「ロベルト・シューマン」(1856年死亡)の、次の曲に似ているという点についても、再度紹介しておく。

 ピアノと管弦楽のための序奏と協奏的アレグロニ短調 op.1341853年

Schumann Introduction and Allegro Op. 134 (finale) - YouTube

BBC Proms 2011: Schumann - Introduction and Concert Allegro, Op. 134 - YouTube

 思うに、ひょっとしたら、「山田耕筰」大先生は、ドイツ留学中にこの曲のメロディを小耳に挟んでいたのかも知れないね!(?_?)