今日は雨のち曇り。昨日の強風は嘘のように止んでいた。
今朝、久しぶりに「ツグミ」が電線に止まっていた。「ツグミ」は、ロシアのシベリアから日本へ、冬季に越冬のために渡ってくる「冬鳥」である。全長は24㎝で、ムクドリと同じ大きさである。しかし、ムクドリよりはスマートである。
本日撮影した「ツグミ」の様子の写真(2枚)は、次のとおりである。
ところで、「ツグミ」の名前の由来は、日本で冬にさえずりをしない(非繁殖期)ため、口をつぐんでいると考えられたと言われているよう。
しかし、頻繁ではないにしても、次の写真(昨年11月18日早朝撮影)に見られるように、「ツグミ」は鳴いていた。まぁ~、スズメ、ハクセキレイ、ムクドリ、ヒヨドリやカラスのように頻繁には鳴かないようだが・・・。
今回は、「ツグミ」がロシアから飛来するということなので、ロシア民謡2曲を取り上げることにした。それは、「二つのギター」と「枯れた楓」である。悲壮感漂う「ジプシーの歌」である。
ロシア民謡は、歌声喫茶でよく歌われていたが、昨今はほとんど歌われていないようか?かって、テレビ放送で、「ダーク・ダックス」という有名歌手グループが定番で唄っていたんだが・・・。
確か、学校の音楽授業でも、「トロイカ」「カチューシャ」「ステンカ・ラージン」「ヴォルガの舟歌」「赤いサラファン」「一週間」等の歌がよく取り上げられていた。しかし、今回取り上げる2曲は、さすが、学校の音楽授業に馴染まないためか、取り上げられたという話を聞いたことがない。
学校の授業に悲壮感漂う調子の曲は取上げにくいのだろうか?そんなことを言うのなら、「ステンカ・ラージン」や「ヴォルガの舟歌」も、詩の内容そのものは悲壮感いっぱいであろう。
音楽授業に取り上げられるか否かの差は、「ドン・コサック」の悲哀を帯びた詩の内容というよりも、曲調によるのだろう。格調高い詩の内容は学生にとって難し過ぎることもあって、悲壮感漂う詩の意味はスルーされるのであろうか。
では、まず、「二つのギター」を取り上げよう。
この曲は、「ポールモーリア」のオーケストラ演奏で、一躍脚光を浴びた曲である。日本では、ポップス歌手の「小山ルミ」さんが唄っていた。このロシア民謡を、ロシア人が唄ったり、演奏したりする曲よりも、はるかに感動ものであった。もともと良いメロデイであった。編曲次第により、各段に素晴らしい曲になるという好見本となったようである。
では、そのことを、次の各ユーチューブ曲で確かめ、雑感を述べてみたい。
❶ 「セルゲイ・トロファノフ(SergeÏ Trofanov)」演奏
https://www.youtube.com/watch?v=3fgAMKdxGjQ
❷ 「小山ルミ」歌唱(1971年リリース、訳詞/千家和也、編曲/川口真)
https://www.youtube.com/watch?v=5B6MzxFey-0
❸ 「シャルル・アズナブール」歌唱(ポール・モーリア 編曲、1995年収録)
https://www.youtube.com/watch?v=jWkF7u5lDtA
❹ 「ポール・モーリア 」オーケストラ演奏(1966年?編曲リリース)
https://www.youtube.com/watch?v=BW9dfhRAf7Y
上記❶ は、オーソドックスな演奏スタイルであろうか。派手さはない。しんみりとしたもののように感じられる。❷は日本人好みの歌に合わせた演奏スタイルになっている。「小山」さんの歌い方にも非常に好感がもてる。❸❹は、演奏会用としても、イージーリスニング用にしても、申し分のない傑作である。特に、❹は、これ以上の編曲はあり得ないというほどの演奏ぶりである。ポール・モーリアの音楽の才能をいかんなく発揮させた作品であろう。
なお、次の記事には、特に、「シャルル・アズナブール」について語っており、かつ訳詞等も掲載している。曲の詩の意味を理解するのに、参考になろうか。
朝倉ノニーの<歌物語> | 二つのギターLes deux guitares
次は、ロシア民謡の、セルゲイ・エセーニン(Selgeoi Yesenin)が作詞した「枯れた楓 」である。この曲については、日本人が唄っているものとして、「加藤登紀子」さんカバー(同人の日本語詞)が非常に感動ものである。しかし、ユーチューブ上には見当たらないよう。
そこで、「おいどん」が所有している「CD」から、「加藤登紀子」さん作詞の「枯れた楓」を反訳して、以下に記載する。
なお、赤字部分は、特に共感のもてるフレーズである。
1 枯れ果てた枝に 吹雪は荒れて 風に震えながら たたずむ楓よ
何を見るのか 何を聴くのか 今にも倒れそうな うなだれる君は
道辺の雪に つまづき倒れた 酔いどれ男の 哀れな姿
夜ごと日ごとに 酒をあおりて 家路を忘れ果てた 私のことさ
2 歌を唄おうか 陽気な歌を 夏の日差しのように 唄ってみようか
老いたる楓よ 哀れな楓よ お前のようにこのまま 死にたくない
誰が笑おうと 何を言わりょうと 許されぬ夢を 抱きしめよう
通常は、次の記事にある「矢沢保」さん訳詞の、「枯れた楓」の日本語が使用されているようであろう。「ダーク・ダックス」がこの訳詞で唄っている。
http://www.utagoekissa.com/utagoe.php?title=karetakaede
両者の詩を比較して思うに、前者は、朽ちて行く楓の木と、歌の主人公とを身体的に重ね合わせる部分がありながらも、主人公は、精神的に朽ちたくないという気持ちが伝わってくる内容で、素晴らしい作詞と思われる。後者については、一言で、夏の情熱も燃え尽きたが、冬枯れした楓のようになりたくないということであろうか?この点、いまいち、詩の意味が解りにくいようか。
次に曲を紹介をすると、ロシア人歌手が唄っているものとして、次のユーチューブ曲がある。どの歌い手も、情感深く唄っており、感動ものである。ただ、音質の違いで、歌の良し悪しが多少感じられそう。その中でも、最初のユーチューブ曲が一番良いようか。
https://www.youtube.com/watch?v=VyhNeIAfvBE&list=PLF9C65BB18077FC33
https://www.youtube.com/watch?v=LudY1ckk1mc&list=PLF9C65BB18077FC33&index=7
https://www.youtube.com/watch?v=wab5pGPx1YA&list=PLF9C65BB18077FC33&index=18
なお、「加藤登紀子」さんが唄っている「枯れた楓」を紹介できなかったが、「加藤登紀子の世界~心に歌を抱きしめて~」の、ユーキャン通販ショップCD全10巻「vol.1~ひとり寝の子守歌~」16番に収録されているので、それを購入して聴いてみるのも一考か。
加藤登紀子の世界 心に歌を抱きしめて CD全10巻 | ユーキャン通販ショップ