今日は快晴。
作日の早朝に続いて、今朝も霜が降りていた。
今日は11月中旬。晩秋は何時から何時までかということについて、一般的には、11月下旬から12月上旬頃までと言われているようである。しかし、晩秋の始まりの点では、10月からというのもあれば、11月からというのもある。
「秋の末(秋の終り頃)」という意味は間違いないものの、その具体的な時期(月日)については、使われ方に違いがあるようである。
例えば、報道等では11月中をいうそうである。他方、時候のあいさつ「晩秋の候」等は、10月上旬から使用しても良いそうである。
https://hanasjoho.com/archives/6343
まぁ~、地球温暖化や「南北に長い日本の国土」を考えると、一般的に、10月は秋の真っ最中で、晩秋には早すぎるように思われる。さりとて、11月下旬ということになると、北海道等の北日本にとっては遅すぎるようであろう。
また、今秋は、近畿地方で木枯らし一番が11月上旬頃から吹き始めたり、当地でも昨日・今日と霜が降りていた。
以上のことから、せめて、11月中旬頃から「晩秋」と言ってよいのでなかろうか?
今日は、珍しいことに、近くの「田んぼ」に「ヒバリ」が舞い降り、何か餌を探していた。
先だって、一度限り、「ヒバリ」が秋空を舞いながら鳴いていた。写真撮影しようとしたが無理であった。というのも、春のような頻繁に繰り返す「揚げ雲雀(空高く舞い上がってさえずっているヒバリ/weblio辞書)」というわけでなかったからである。
「秋のヒバリ」がほとんど話題にならないのは、所謂「ピーチクパーチク」と頻繁に鳴かないからであろうか?
秋は旅の季節 町でも聞かれるヒバリの声|ライフコラム|NIKKEI STYLE
「ヒバリ」の真骨頂は、まさに「揚げ雲雀」である。でなければ、古今東西を問わず、そんなに、人々から注目の的とされなかったであろう。「空高く」「頻繁にさえずる」ということは、人間界にも当て嵌まりそうな気がする。
何故って!そもそも「ヒバリ」は鳥界の中でも底辺に位置する弱い小鳥である。敵から身を守る術は、「カモフラージュ」や「すばしっこさ」しかないようである。巣作りにしても、「田んぼ」等の平地である。
地味すぎるのに、それでいて、古今東西、歌の題材に数多く使用された小鳥であるのは、何故だろうか?
「ウグイス」のように綺麗な声でなく、「メジロ」のようにかわいくもなさそうだし、将又、「文鳥」のように人なつっこくはないのに・・・、である。
おそらく、それを一言でいうなら、「あまねく、かつ頻繁に、しかも高い空から情報発信をしている」からではないだろうか?
今の世は、新自由主義(弱肉強食)社会の真っ只中、弱者は空高く舞って情報発信をし、強者に対峙するしか対応策がないように思える。「空高く舞って情報発信」とは、「SNS発信」(はてブ・Tweet投稿等)を意味する。この理は、「揚げ雲雀」に例えられようか?
そして、もし、この対応策すら奪われるのであれば、弱者は人間としての尊厳を失い兼ねないように思える。
確かに、「ペンは剣よりも強し(言論の力は武力よりも大きい力を持っているということ/The pen is mightier than the sword)」という諺もある。しかし、弱者にとっては、その媒体手段活用方法が乏しい中、絵にかいた餅に過ぎない場合が多いようか。この点、「揚げ雲雀」に見習う余地も十分あろう?(-_-;)
知っているようで知らない「新自由主義」とは?大学生にもわかりやすく解説してみた(学業)|t-news
それでは、今日見た「ヒバリ」の様子を見ることにする。
次の写真(5枚)がそうである。
(何をみているの?)
(何を考えているの?)
(こっちを見てくれたね!)
(何の餌を食べているの?)
(ポーズが決まって、素晴らしいよ!)