今週のお題「わたしの好きな歌」
今日は、晴れ後曇り。やや暑い一日。
はじめに
今回、予てから懸案だった「わたしの好きな歌」の内、次の2選について、それらの作詞・作曲等の対比について考えて見たい。まず、❶「雨のレクイエム」は中森明菜さんが歌っていた曲である。次に、❷「陽だまり」はマルシアさんが歌った曲である。
上記❶と❷を取り上げた理由は、次のとおりである。
両作品は、詩の醸し出す情景や雰囲気がとても似ている。曲想も憂いを含んだ甘美なメロディに溢れている。両歌手の歌い方が心に染みて素晴らしい。編曲演奏にしても、情景にフィットしてる。さらに、詩と曲とが完全に融合している。
それにしても、昨今、これらのような心に染みる「バラード風」の曲が、少ないのは残念である。これも、時代の流れなのだろう?
両作品の作曲者等について
最初に、両作品について、作詞・作曲家やリリースされた年代等を紹介し、それらの時代背景(甘美なポップス調歌謡曲が花盛り)について、予備知識を得る必要があろう?
❶「雨のレクイエム(鎮魂歌)」は、1983年に、作詞芹沢類、作曲玉置浩二、編曲萩田光雄の下、ワーナー・パイオニアから、シングル盤として発売された。しかも、B面であったものである。À面は「禁句」。これは、アイドル色を前面に打ち出したものなのであろうか?
なお、❶の曲は、1982年に発売された「セカンド・ラブ」(作詞来生悦子、作曲来生たかお)と雰囲気が、多少似ているようにも?
https://www.youtube.com/watch?v=cVSr1kRGD6M
❷「陽だまり」(日当たりが良い場所)は、1993年に、作詞高村圭、作曲山崎一稔、編曲竜崎孝路の下、日本コロンビアから、最初は「雪どけ」とカップリングしたシングル盤として、次に、「マルシア特選集」(アルバム盤)として発売された(当時購入したアルバムの一つ)。
この特選集の中には、マルシアさんのデビュー曲である「ふりむけばヨコハマ」(1989年、この曲で最優秀新人賞を獲得。作詞たきのえいじ、作曲猪俣公章)も入っている。
両作品に類似する詩情について
一言でいえば、両者はいずれも、「恋人との別れ」に関わる描写を題材にしているよう。
❶「雨のレクイエム」は、現在進行形である女性の悲痛な別れである。これに対し、❷「陽だまり」は、それより残酷であろうか!結婚をしている「連れ添いを伴った恋人」に偶然出くわした女性の心理状況を如実に描写している。日の当たる明るい場所が一転、人の心に大雨をもたらしているようである。その後に、決定的な別れが想定。
❶は実際に降っている雨の状況下における別れの描写。そして、❷はドキッと感のある心の雨の心理描写である。さらに、❶は女性の方から別れを切り出したように思え、反対に❷は、男性からの別れのシグナルが感じられよう。さらに又、登場人物について、❶は二人なのに、❷は三人である。天気も、雨又は晴れの時に歌った違いがある。
両者に共通しているのは、いずれも、枯れ葉のある道での悲しい出来事である。
それでは、両者の歌詞の特徴となりそうな箇所を取り上げ、全体的に考えてみる。
まず、上記❶の歌詞1番「銀杏の並木は人影もなくて /二つの傘がふるえている」 「たたずむ私 おいていってね」「この場所でサヨナラをしたいから」、同2番「突然あなたが投げだした傘に /枯葉と雨が舞い落ちる /悲しみだけだね/あげられたものは/あなたの声がかすれているわ」。そして、最後のフレーズ「静かな雨はレクイエムのようね/ こらえてるくちびる震えそうよ」
この歌は、一言でいうと、「別れによる女性の悲痛な思いを、雨が鎮魂歌となって癒してくれてるような」ということか?ただし、諍いによる別れの事情については、何ら触れられていない。「突然あなたが投げだした傘に」と「悲しみだけだね /あげられたものは」の各フレーズから、女性の方が別れを一方的に切り出したように思われるだけである。以前、浜辺の歌の歌詞についても論じた(3月15日付け当ブログ記事)ように、3番、4番の歌詞があれば、その辺の事情が分かるのかも知れない。しかし、3番、4番の歌詞はない。この点の疑問は、作詞家に訊いてみるしかないよう。
次に、上記❷の歌詞1番「見てはいけない 日曜日のあなたと /枯れ葉の舗道で 出逢ったの /腕組む二人の 揃いの指輪」「知らない顔して 私とすれ違う /あなたの背中に 陽だまりが見える」「こわせない愛に / 目をふせて / 心のすきま 涙 あふれる」、同2番「時計ばかりを 気にしてるあなたの /つくり笑顔が 淋しくて / 綺麗なリボンの 包みはきっと 私よりも 大事な約束」「あなたは今夜も 陽だまりに帰る」
この歌は、一言でいうと、「二股をかけられた女性の、それを現実として目の当たりにし、知った時の悲哀」を表しているよう。本命の女性に奪われた男性恋人が陽だまりの中にいるのを、日陰者になっている自己と重ね合わせながら、それと対照的に悲嘆している状況が目に浮かぶ。
疑問なのは、1番の歌詞から、女性は男性に本命の恋人がいると知って付き合っていたか否かについて、いまいち判らない。突然の出会いにおける出来事にショックを受けている。しかし、2番の歌詞「時計ばかりを 気にしてるあなたの /つくり笑顔が 淋しくて / 綺麗なリボンの 包みはきっと 私よりも 大事な約束」から、どうもおかしい、二股をかけられているんじゃないかのような印象を持っていたことが窺えよう(捉え方によっては、愛人?であるかのような描写も!)か。また、心のどこかにそれを否定したい気持ちもありそう。それだけ、日曜日、陽だまりにて、残酷な現実(腕組むふたりの 揃いの指輪)を突きつけられて声が出なかったのであろう。この部分が歌の核心か。
さらに疑問なのは、主人公が愛人としての位置づけにあったか否かについて、3番の歌詞がないので明確に出てこないよう。しかし、3番の歌詞はない。
思うに、主人公の「愛人説」より「二股説」の方が正しいようにも・・・。
いずれにしろ、陽だまりでの出来事において、結婚対象でなくなったのが判明したのは事実である。
歌手の歌い方によるメロディの味わい深さ
両作品とも憂いを含んだ甘美なメロディである。両歌手はこれらの曲を感情を込めて切々と歌っている。しかも、いずれもが余韻を残したままに終わっている。特に、中森明菜さんの歌い方は、アクセントを強調しながらであるので、歌の雰囲気が人に対し、よけいに感動を覚えさせる。このことが、「七色の声」(いろいろな種類の声のこと/ニコニコ大百科)を持つ所以と目されているのであろうか?声の質、強弱の変化がとても良い。一方、マルシアさんの歌い方もこれに決してひけをとらないように思われる。それは、ワビ・サビの部分について、声の出し方や声質を変えているからである。加えて、編曲の良さも作品に彩を施して拍車をかけている。編曲により、詩と曲により醸し出される描写が違う。
いずれもが、名歌手であることに変わりはない。
詩と曲の融合について
名曲となるには、聴く人に対して感動を与えるものでなければならないと思う。そのためには、曲のメロディや歌手の歌い方による詩の有するリアルな表現が必要だと思う。この曲にとって、この歌手、この編曲でないと本来の詩情が表現できないのではないだろうか。いわゆる「詩と曲の融合」が図られることが必須のようか。詩情は、歌となって表現され、編曲(バックコーラスを含む)により一層彩が添えられてこそ、名曲たり得るように思う。
両作品は、見事にこれらの条件を満たしている。よって、まさに名曲そのものなのである。
個人的には、「メロディ⇨詩⇨編曲⇨歌手」の順番により、名曲表現の一体化が図られるのが良いようにも!
大歌手(中森明菜&マルシア)の現在の状況
以上、二つの名曲を取り上げてみた。それにしても、これら絶唱タイプの曲を歌い続けるには、歌手にかかる負担が大きいように思われる。抑揚をつけて、かつ曲の有する微妙な表現を切々と歌うには若い時期でないと難しいように思われそう。なぜか、これらと似たような曲を歌う歌手には、その後、年齢により声質等に変化がみられる場合が多いからである。
実際、「東京三部作(トーキョー・トワイライト、Tokyoに雪が降る、星空のトーキョー)/1999年以降」で一躍有名になった「チェウニ」さんもそうである。肝ともいえる、微妙な歌のワビ・サビの表現が、以前と比べて、昨今は心地よく感じ取れないよう。七色の声の変質、又は、劣化であろうか。
この点について、「茨の木」を歌っていた小林幸子さんは、何故か、声質の変化が見られない。どこに違いがあるのだろうか?
中森明菜さんも例外でないようである。次の記事にあるとおり、いろいろご苦労があってのことなのか?残念至極である。
中森明菜の現在?芸能活動休止は近藤真彦とお金が原因で病気になった為だった | 井戸端会議で花咲かせ
中森明菜の現在(2019)!自宅や結婚の噂は?収入が半端ない!?画像あり! | 芸能人ニュースの裏側〜まとめのまとめ〜
一方、マルシアさんの声質の変化は、それほどでないように思えるも、デビュー後しばらくして、恩師「猪俣公章」が亡くなられて以降は、歌に、どこか往年の切々感がなくなっているように感じられる。一因に、以前と比べて、バラード風の歌謡曲が流行らなくなったことにも関係しているのだろうか?その証拠の一つとして、NHKの紅白歌合戦出演の演歌歌手は、昔のヒット曲の持ち歌ばかり歌っていることも!
マルシアさんの現在の状況は、次の記事のとおりである。
マルシアの今現在は干されて旦那との離婚や年収がヤバイ!娘はかわいい?[しくじり先生] |
マルシアの現在は?再婚してる?娘、弥安(びあん)のwikiや大学を調査!【徹子の部屋】 | miiとぴ
おわりに
名曲「雨のレクイエム」と「陽だまり」の両作品を通じて、歌手の中森明菜さんやマルシアさんのことをも、縷々記事にして来た。それら作品に関するネット論評記事等が、略皆無の中、単なる「音楽愛好者」ということだけでいろいろ考え、論じるには誤りも混入しやすく、間違っているかも知れない。その点はどうかご容赦を!
まあ、一つの見方と思っていただきたい。それはある意味、話題として取り上げ、いろいろ考えるに値する大歌手だからこその宿命でもあろうか?特に、中森明菜さんは、「アイドル」の域を超えた何か秀逸のものを持ち合わせていたから、余計にである。
いずれも、かって夢中になって曲を聴いた歌手の二人である。そして、現在に至っても、彼女らの曲を、時に聴いている。
(追記1)
7月11日、小雨。
歌手の中森明菜(53)に関する「封印されていた真相に迫る」という最新記事
20世紀のプリ・マドンナであった「マリア・カラス」同様、ある意味、「天才歌手」につきものようにも思えるが・・・。
今日で中森明菜“自殺未遂事件”から30年、封印されていた真相に迫る(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
(追記2)
11月13日、晴れのち曇り。
歌姫「中森明菜」伝説。
天才歌手にありがちな騒動なのか?当時のプロダクション関係者は、彼女が「トラブル・メーカー」だったと言う!
信じたくない話だが・・・そうなのか!
確か、不世出の天才オペラ歌手「マリア・カラス」にも、多くの騒動があったとか!
【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】前代未聞!所属レコード会社から告げられた“絶縁” トラブルの責任を社長が放棄(夕刊フジ) - goo ニュース