諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

「アカデミック教授」と「社会人(実務家)教授」の功罪について(私見)

 昨日は曇り。湿気があり、かなり蒸し暑い一日であった。

 今日も曇りで、蒸し暑い。

 

 

はじめに

 

 一昨日、「Newsweek」デジタル紙に、「なぜ、日本は<異端>の大学教授を数多く生み出したのか」の記事が掲載された。

 非常に考えされられる問題であろう。特に、大学教授の崇高な地位が、山崎豊子原作の「白い巨塔」において映画化や、幾度とないテレビドラマ化でこれまでにもクローズアップされて来たからである。おまけに、その名作は、韓国ドラマバージョンとしても取り上げられ、国際化さえしている。

 

 ところが昨今、日本において「教授の在り方」が変容しているようである。いわゆる、同記事のターゲットになっている「社会人教授」の跋扈問題である。法科大学院で例えるなら、「実務家教員(教授)」ともオーバーラップしよう。

 それでは、なぜ、それが問題なのかについて、同記事からの「外国において、博士号を有しない大学教授は存在しない」という指摘である。なのに、日本ではなぜ存在するのかに関する同記事の筆者からの強い疑問である。

なぜ、日本は<異端>の大学教授を数多く生み出したのか | キャリア | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

 おそらく多くの大学生諸氏は、上記の疑問と、同様な念を抱いているように思われる。そこで、以下、その疑問について、その功罪を検討してみるのが、本論考のテーマである。

 

大学教員のヒエラルキー

 

 大学教授云々を論じる前に、大学教員のヒエラルキーを知る必要があろうか。その中でもとりわけ、教授は、誰もがご存じのように、いわゆる「一国一城の主」で、かつ大学の中核的存在である。

 

 次の記事からは、大学教員の職階(序列)が、以前は「助手⇨講師⇨助教授⇨教授⇨学長」であったのに、2007年の学校教育法の改正で「助手⇨助教⇨講師⇨准教授⇨教授⇨学長」に変わったとのことである。

 なお、「総長」という呼び名もあるが、国立大学では東大等の旧7帝大が用い、大規模私立大学(早慶など)もそのように用いている場合が多い(ただし、アメフトで問題になった日大は、理事長と学長に分離し、同志社大は学長のままである。)。一般的には、「学長=総長」と見てよいだろう。

【司法書士 阿部亮のつぶやき世界一周】謎が深まる「准教授」 大学教員のヒエラルキー - 経済・マネー - ZAKZAK

准教授、助教、講師、博士研究員…誰が一番えらい?【高校生なう】|【スタディサプリ進路】高校生に関するニュースを配信

学長、理事長、総長、校長の違いは?どっちが偉い?【学校の役職】

 

 この職階制は「常勤職」が普通であったのが、昨今、任期制(1年から数年)の絡みで「非常勤職」にまで拡大されている。例えば、職階の前に「特任」「客員」「招聘」「特命」「臨床」「非常勤」がつくものである。

 

 大学教員の学内立ち位置として、非常勤は常勤より影が薄いよう(例えば、定年退職の教授が任期延長の名目で「特任教授」となっていること等もあるから)であろうが、一般的に、外部からは同一視されよう。

 

「社会人(実務家)教授」の出現

 

 「社会人教授」の出現について、1985年に、大学教員資格が緩和され、「実務家教員」枠が認められるようになった。そのため、中央省庁の役人、メディア関係者、企業関係者が容易に大学教員になることができるようになったとのである。

 それはそれで、例え、悪くないとしたとしても、どうして「教授職」にこだわらなければならないのだろうか?

社会人教授が急増しているのはなぜか──転換期の大学教育 | キャリア | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

中央教育審議会 大学分科会 制度部会(第21回(第3期第6回))議事録・配付資料 [資料5−3] 3 「実務家教員」関係規定等−文部科学省

 

 例えば、大学設置基準14条5号、6号により芸術、体育等で特殊な技能に秀でていると認められる者や、専攻分野で特に優れた知識や経験を有していれば、大学教授に任用できるというものである。このことから、修士号はおろか、博士号すらなくても学士号だけで大学教授になれるということになる。

 しかも、文科省は、特に、法科大学院(2004年4月設立)等の専門職大学院において、一層の実務家教員登用を推し進めている。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/043/siryo/__icsFiles/afieldfile/2018/05/28/1405040_3.pdf

 

社会人教員が、アカデミック研究員(ポスドク又はオーバードクター)の正規教員への就職の機会を簒奪している側面は? 

 

 そして、これとほぼ並行するかのように、文科省は、1990年代以降2008年までに大学院重点化政策を実行して来た。その結果が博士号等取得者の大量生産である。    

   この政策のつけは、その後、就職超氷河期時代とも重なって、ポスドク問題が取り沙汰されて来た一要因とも言えそうである。そのことは、今日に至っても、非正規教員問題として、影を落とし続けている。

 

 その象徴となる悲惨な出来事は、「非業の死を遂げた元九州大学研究者」の報道であった(2019年3月12日付け当ブログ記事として掲載)。

 そのことは又、非常に優秀とされた博士号を有する女性研究者の、「正規大学教員になれないことを悲観しての自死にも、当てはまりそうか。

 その当たりの事情については、同ブログ記事の各追記分(転載。但し、資料は省略)以下のとおりである。(-_-)

 

(追記1)
 4月15日、晴れ。
 非業の死を遂げた元九大研究者の地位とも関連する、ある女性研究者の自死の記事を見つけた。末尾リンク記事がそうであるが、それを、要約すると次のようになろうか?


 東北大学出身の女性研究者・西村玲(りょう)さんの自死について、非常に優秀だったにもかかわらず、大学教員採用試験に落ち続け、これを悲観して自殺したという論調の「ワープア博士の非業の死」報道(朝日新聞)のみがクローズアップされていた。


 本記事では、それだけでなく、精神疾患を隠されて結婚した夫(休職中の医師)からの暴力で、彼女自身も精神的に病み、それらが相乗効果となって自死したのではないかと、同報道内容の在り方に対して、疑問を呈している。
 しかし、そうであったとしても、人文系の博士号取得者で進学も就職もできなかった人が3割近く、進路「不詳・死亡」とされた人も2割弱の悲惨なデータもあり、加えて、非業の死を遂げた元九大院生のように、博士号を取らずに大学院を離れた人の進路は、より厳しいだろうと述べている。


 如何にあれ、非常勤講師になれても「5年」で雇止めが多く、又、助教等のポストに就くことができても多くは任期制で、常勤研究者への道は厳しいとのよう。特に、「コミュ障」等不器用なタイプの人は「詰み」やすいと言う。
 進路ケースとしては、❶「博士課程単位取得」の後に「ビルの清掃作業員」になったり、さらに、❷「雇止め」後に「大型スーパーのガードマン」になっているオーバードクターがいる、と紹介している。


 本記事の筆者は、せっかく身に着けた人文系知識につき、他の何かに役に立つはずと考えている。しかし、現在の日本では、「役に立たない学問」を研究する行為が、人生を棒に振ることと同義になっていないか?を危惧している。

 以上を読んで、次のように感じたもの。
 ❶自殺に至る契機について、常勤の大学教員に就く目的を達成できない絶望感を味わいながら、何とか頑張って来たものの、元九大研究者は、生活貧窮の上に研究室を退去せざるを得ず、又、女性研究者は、離婚による「精神的やまい」の二重苦が重なった上での、ことのように思われる。
 ❷学者志望者は、元来性格的に妥協を許さない人が多いように思われる。だからこそ、学問的真理の追及には打ってつけであろう。しかし、現在、昔と異なり、世渡り上手の得意な人しか学者になれないのだろうか?無骨な人間に対する社会的許容度が減退したと言うのであろうか?それは、ある意味、「学問的真理への追究」が多少疎かに扱われているとも言えよう。そういう社会なのだろうか?
 ❸例え、研究者への道が遮断されたとしても、自殺は絶対あってはならないことである。これまで、何のために一生懸命研究に励んで来たのかが分からない。清掃作業員になろうが、ガードマンになろうが、生きていれば、その中で、今まで身に着けた知識を生かす別の道を模索することもできよう。
 それにしても、よくよく考えて見ると、オーバードクターの過剰な大増員は、すべてがすべて、大学の常勤教員になることを想定していない。
 ❹政府の大学人文系学科軽視は、今後共、ますます増大することが予想される。そうすると、どこかで踏ん切りをつけて、別の道に進路変更することがベターか。公務員受験資格年齢制限の29歳までに苦渋の決断をすべき時が来るように思える。
 他方、国や自治体側も、受験資格の年齢制限を大幅に引き上げる方策等を講じるべきであろう。

(追記2)
 4月18日、晴れ。
 「40代研究者の死について」の記事
 悲劇の死を遂げた「九州大学研究者」と同じ「就職氷河期世代」に属し、同じ年(1972年生まれ)の可能性が高いと!

(追記3)
 令和元年5月15日、晴れ。
 40代(ロスジェネ世代)、貧困ポスドクの悲哀
 大学で教える3人に1人は非常勤講師。非常勤になるのも容易くなく、なっても、賃金は時給以下で、突然クビ宣告も!

 

 ここで言わんとすることは、限られた大学正規教員枠の中で、国策によるオーバードクター等の大量生産と社会人教員の増加によってもたらされる、「学問の府」としての大学組織内の混乱である。つまり、大学側が多くの優秀な若手研究者の面倒を見切れなくなるという負の対価である。

 元来、大学設置基準14条5号、6号に該当する社会人教員は、例外的であるべきはずなのに、そうでないようか。そのため、若手研究者の正規教員になる確率が少なくなる。

 それでも、本当に優秀な社会人教員(例えば、ノーベル化学賞受賞の田中耕一氏。彼は東北大学工学士の資格のままで、「社会人教授」として東大客員教授等を歴任。)なら若手研究者も納得せざるを得ないものの、そう思われそうもない社会人教員が散見されている。そのことが、本冒頭の「社会人教授」に対する疑念を生じさせているとしか思えてならない。おそらく、何らかの人脈等を使って、社会人教員になっているように勘ぐらざるを得ないのだが?

 

「アカデミック教授」と「社会人(実務家)教授」の功罪

 

 それでは、どうしてこのような事態が生じたのであろうか?その背景を考える。

 まず、❶経済面から、バブル期後の失われた20年に問題が潜み、大学設立の量産化、大学生の増加、その後に訪れる少子化、地方の衰退化がその根底にあろうか。

    次に、❷政治面からは、小泉内閣の「劇場型政治」に始まって、安倍内閣の「忖度(勘ぐれ)政治」にその要因が見て取れそうである。それは国立大学の法人化、大学運営交付金の削減による自助努力を促す大学改革への喚起である。いわゆる「新自由主義」への貫徹・顕現化である。

 なお、その一方で、必要とも思われそうもない大学を、量産していることに疑念を禁じ得ないが。

「Fランク」専門学校が廃校危機~定員割れ大学よりも高リスクの理由(石渡嶺司) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

 それはどういうことかと言うと、次のようになろうか。

 

 ❶については、大学の大量増産による予算のひっ迫化への処方箋である。設立した大学はそう簡単に潰すことはできない。ちょうど、法科大学院の撤退(当初は74校あったのが、現在は35校に)と同様に、経営努力なくば大学市場から自主退散を願うのみである。Schulze BLOG:2019年02月

 現在、私立大学の4割が定員不足で大学運営に支障を来している。自然消滅を願うのみであろう。地方国立大学にあっては、大学運営交付金の漸次大幅削減により、研究もままならない状態が現出している。

 

 ❷については、とかく、大学は憲法23条の「学問の自由」の一内容である「大学の自治」を金科玉条にして、文科省の過度の支配(横やり)から逃れて来た側面がある。

 これは、円滑な国家行政の遂行からして極めてやりにくい憲法上の原理である。そこで、予算面と人事面(官僚を教員にする等)で、じわりじわりと大学の自治に強度な国家的影響力を及ぼそうと考えても不思議ではないだろう。

 

 ある意味「学問の自由」の骨抜き政策とも受け止められ兼ねず、大学本来の目的である自主独立の「研究の自由」の阻害要因にもなっていようか。「社会人教授」の大量導入化は、このことと無縁ではないように思われてならない。官僚OBや大企業役員経験者を大学に投入することで、間接的に「大学自治」の脆弱化を招来し、又、マスコミ関係者を大学に投入することによって、国家権力への監視役から追従者へと変節させている側面は否めないだろう。

 

 以上のことは理系の大学について、民間の研究機関が充実していることもあって、社会人教授の存在批判が顕著に言われていないよう。このことは、こと文系について、多くのことが言えそうである。

 

  まあ、このような大学の在り方の現出は、かって、アジアでトップであった日本の大学の研究において、中国のみならず韓国の大学の後塵を拝することは火を見るより明らかであろう。今はまだノーベル受賞者も日本から輩出しているものの、それは、これまでの過去の研究遺産の喰いつぶしにほかならず、遠い将来には中国や韓国に大きく水を開けられそうな気がしてならない。昨今、世界大学ランキングにおいて、中国や韓国に大きく水を開けられているから。

 

 学問的見地から、時の政権と対峙し、苦言・是正を促して政権の国家運営を誤らせないようにするのが、アカデミック教授に課せられた任務のはずなのに、ただ、いたずらに国策に追従するというのでは、違和感を覚えざるを得ない。テレビなどにしばしば出演して、視聴者に良い顔を見せるだけではいかんだろうに・・・。

 

 そのまま当てはまらないが、類似例としては、2015年に行われた同志社大学の学長選挙の一例があった。

 それは安保法制に賛成していた「村田晃嗣」学長が学長選で大差で敗退し、わずか3年間の任期しか務められなかっことである。しかも、学長の取り巻きに「お友達」を配したとのことのようである。どこかで聞いたようなことが、この大学でもあったそうな?この件を考えると、「大学の自治」が弱体化したとは言え、まだまだ、健在なところもあろうか。このことは、名門私立大学の矜持でもあろうか。(^-^;

 

 この大学は、新島襄創立者として、歴代学長には憲法学者田畑忍氏(土井たか子衆院議長の師匠)や刑法学者の大谷實氏が名を連ね、日本でもトップクラスの学者を輩出して来た、関西一の名門私立大学である。

村田晃嗣氏、同志社大学長選で敗れる 安保法制賛成で学内から批判 | ハフポスト

大揺れ同志社大 「安保法」賛成学長が大差落選の裏事情|日刊ゲンダイDIGITAL

 

 そうは言っても、従来の大学の在り方が良いというものではない。特に、「タコツボ研究」は現在では通用しない。現在は、横断的な連携による研究の拡がりが必要とされている。教授と院生の一対一でなく、院生同士の研究評価の仕合を積極的に導入すべきであろう。

 というのも、アカハラの一つの要因に、教授と院生の一対一の関係が多くあり、自由な研究の進展に大きな支障となっていたはずである。

 とかく、これまでのアカデミック教授は、権威主義唯我独尊)的なところがあったことも否定できないであろう。いわゆる「専門バカ」(しかし、ある意味、学者特有の宿命か)と揶揄された言辞が象徴しているよう。

 

 そこに風穴を開けると期待されていたのが「社会人教授」の導入でもあろうか?その意味では、決して悪いことではないよう。博士号を有しないといっても、「過程博士」がすべてでないだろう。「論文博士」もある。今後は、批判されている「社会人教授」については、少なくとも「論文博士」になってもらうような施策を講じるべき検討の余地があろうか。ただし、教授には博士号取得が前提条件と考えるならばの話である。

 例え、そうしても、多分、「社会人教授」の多くは、それなりの実力を有していると思われ、「論文博士 」を取得するのに困難を来さないだろう。

 

おわりに

 

 冒頭記事の論者が、博士号を持たない「社会人教授」に対し違和感をもっていることに、その多くは同調する面もある。しかし、「社会人教授」の存在について、全否定はできないだろう。

 教授の地位の特殊性は分かるも、例えばノーベル賞受賞者まで、博士号を有さないから教授になれないというのでは、それこそ、唯我独尊、過去の遺物とも言える権益保持に固執していると、周囲から見られるだろう。


 他方、現在の「社会人教授」の在り方に大いなる疑問があることも否定できないのは、事実である。いわば「教授という特殊地位の乱発」をしているとしか思えない。教授はそのような軽い存在のようなものではないだろう。この点では、上記論者の問題提起には大いに賛意を表したい。

 

 それでは、「教授という特殊地位の乱発」を防止するためには、どうすることが望ましいのだろうか?

 この点についての改善提言策として、次のように考えたい。ただし、これは原則であって、その後、「過程博士」でなく、「論文博士」であっても、教授に任用することには何ら妨げはない。例外として、ノーベル賞受賞者等の功労者については、特にこの限りでないとしたら、如何だろうか?

 ❶博士号を有しない教員は、教授に任用しない。

 ❷修士号しか有しない教員は、准教授までにしかなれない。

 ❸学士号しか有しない教員は、講師までにしかなれない。

 

 以上の提言を実行できれば、「教授という特殊地位の乱発」には、ならないだろうと思われるが・・・?(*'ω'*)

 

(追記 1)

 7月4日、曇り時々晴れ。

 「THEアジア大学ランキング2019速報」記事

 ❶清華大学⇨❺北京大学⇨❽東京大学⇨❾ソウル大学⇨❿成均館大学⇨⓫京都大学 

 なお、トップ20のランクイン校数は、中国6、韓国5、日本2

THEアジア大学ランキング2019速報(ベネッセ 教育情報サイト) - Yahoo!ニュース

 

(追記2)

 令和元年7月15日、曇り。

 改めて、教授という地位の凄さを垣間見せられる記事か!

 「松田聖子の歯科医夫、慶応大教授でなくとも、神奈川歯科大教授になっていた」と!例え、ブランド大の教授でなくても、教授には変わりがない。

 慶大関係者曰く、「大学病院に勤めていれば、10人中8,9人はブランドや給料より教授になることを選びます」と!

松田聖子の歯科医夫、慶応大の教授になれず…妻が許せない「都落ち」(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

 

(追記3)

 令和元年10月10日、快晴。

 「吉野彰名城大学教授(京都大学工学部卒)が、2019年のノーベル化学賞を受賞することが決定したとのこと、誠に喜ばしい限りである。

 榎木英介さんの後掲記事によると、吉野教授は論文博士大阪大学)で、大学院(博士)修了歴のある過程博士ではないというである。文科省は「論文博士」を廃止したいような話である。

 しかしそれは、文科省の方針がおかしいと思われる。

 このことは、ちょうど法科大学院の存在のあり方について、類似のことが物語っていよう。「優秀か否か」について、予備試験合格率は、東大や京大のロースクール卒よりダントツに高いのである。

 以上のことを推察するに、文科省は一応の理由を述べてはいても、どうしても、本質的には、天下りポスト先確保狙い等の省益がらみが見え隠れするように思えそう?

ノーベル化学賞吉野彰さんのキャリアにみる論文博士の価値(榎木英介) - 個人 - Yahoo!ニュース

   ところで、次の記事での吉野教授(71)の学歴として、1972年に京大大学院工学研究科修了とあるが、修士号を取得し後、旭化成に就職したということなのであろう。

時代の扉開いた 「まさか、まさか」 ノーベル賞・吉野氏(カナロコ by 神奈川新聞) - Yahoo!ニュース

 

(追記4)

 10月11日、晴れ後曇り。

 「博士課程を経ないノーベル賞受賞者が増加」

 大学院教育のみを重視するという文部科学省の方針(大学院重点化政策)に、疑問の声が上がる可能性も?

博士課程を経ないノーベル賞受賞者が増加。文科省の大学院重点化政策の意義は?(THE PAGE) - Yahoo!ニュース