昨日は晴れ。風が強く吹き荒さみ、少し寒かった。
今日は薄曇り。一転、風もなく、比較的暖かく過ごしやすい。
今朝、7時過ぎ頃、東の空を見上げると、何か見慣れない物体が見えた。もしかして、「UFO」(unindentified flying object)?・・・かと思った。
しかし、よく見ると違っていた!気球が浮かんでいただけだった。昔は、街中で、空に浮かぶ物体・アドバルーンはしばしば見たものだった。昨今は見られない。
気球は初めてである。やはり、田舎ならではの光景なのか。街中では見たことがない。
熱気球の発明者は、フランスの「モンゴルフィエ兄弟」で、1783年11月21日に有人飛行を実現させたとのことである。
ブルボン王朝のルイ16世やマリー・アントワネットも熱気球に注目したようである。しかし、好奇心旺盛で、派手好きで知られた「マリー・アントワネット」は、1789年フランス革命の勃発により、その後、ギロチンでもって処刑された。
世界初の熱気球発明でフランス国内が沸き返っていた5年前が、ルイ16世やマリー・アントワネットにとって、信じられないかのようである。
【熱気球の歴史秘話】フランスの空に魔法で気球を飛ばした兄弟の物語 | SOTOASOBI LIFE(そとあそびライフ)
早朝、薄曇りの東の空が白んでいた。そこに、やがてくっきりと浮かんでいる熱気球が見えた。
ドイツの大作曲家・シューマンの「流浪の民(Zigeunerleben)」(直訳・ジプシーの暮らし)の合唱曲(詩は、エマニュエル・ガイベル)を思い出した。
高校時代の音楽授業でよく歌わされたものだった。石黒小三郎訳詞のもので、「東空(ひんがし)の白みては、夜の姿かき失せぬ」という件がある。その意味は、「東に朝が目覚めるとき、美しい夜の様は消えていく」とのことである。
それと、同じような光景を感じた。
この「流浪の民(Zigeunerleben)」が作曲されたのが、1840年ということなので、熱気球が発明されてから、随分後になる。既に、ドイツにも広まっていただろう。そして、シューマンも熱気球を見たかもしれない。もし見ていれば、どんな気持ちだったであろう?
当方も、「流浪の民」のような気分になることがある。そのような気持ちで「熱気球」をみると、そこはかとない優雅さが感じ取られる。ゆっくりと、のんびりと泰然自若として空に浮かんでいる。
他方、当方の心は、あちこちと迷走をし続けている。対照的である。