諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

痛み等への実地体験は、厳しい社会生活を送る上での耐性力にとって有用だ!

 今日早朝は快晴、久々に車のフロントガラスに霜が降りていた。その後、曇りに変って行った。

 

 

税金支払いのため市役所へ

 今日午前中、税金不足分等の支払いのため、自転車で市役所に行った。いくら、法律上の義務とは言え、身をもって税金支払いの実地体験(actual experience)をするのは、いつも痛い思いがする。

 

 おまけに、市役所の駐輪場にスペースがなかったので、歩道?(歩道か否かは判別できなかったが)にはみ出して止めようとしたところ、60歳位?の男性警備員さんから注意を受けた。税金支払いの痛み共々、ダブルパンチを喰らったような感じであった。

 

 車道からは見えない奥まったところに自転車の空きスペースがあるとの指摘である。警備員さんの言い方が、人を詰っているような捨て台詞だったので、「人を責めるような言い方をしないでも良いのに」という言葉が、ついポロリと、口から出た。

 不愉快なことや嫌なことは、重なるものである。

 

痛み等の実地体験の必要性

 人間誰しも、不愉快なことや嫌なこと、そして痛いことは、避けたいものであろう。

 しかし、以前と異なり今の世の中、それを避けることは、人間の成長に繋がらない状況が醸し出されているように思われる。なぜなら、「お互い様」という相互扶助の精神が著しく欠けた時代になっているからである。

 つまり、社会全体から「プラスサム」が消え失せ、「ゼロサム」又は「マイナスサム」へと変化しているのである(注1)。

 

 それへの意識は、「不愉快な、嫌な、痛い」思いを実地体験してこそ、強く喚起されよう。そして又、そこから、次の段階へと進む態勢が準備される。

 税金等の支払い一つとっても、給料からいつの間にか差っ引かれている時に感じる痛い思いと、自らの財布から直に支払いをする痛い思いとでは、痛みの感じ方は格段に違う。

 諺にある「百聞は一見に如かず」の、聞くと見るのとでは大違い以上のものがあろう。それは、身をもって痛みを感じる実地体験が有りや無しやでの差であろう。

 

 では、何故、そのような痛い(不愉快な、嫌な)思いをしてまで、実地体験する必要があるのだろうか?

 気分が憂鬱で暗くなるのは、必定なのに・・・。

 

 それは一言でいうと。そもそも「人間は本来的に利己的(selfish)」であるからである。そして、ある意味、人間社会は、人の「利己」と人の「利己」との衝突の調和乃至総和で成り立っていると見るべきである。

 

新自由主義による日本社会の変容 

 以前の日本社会は、相互扶助の思想(共助の精神)が蔓延して、個人的な「利己」を見えなくしていた。制御しなくてもよい筈の良心(良い意味での利己心)さえも、共助の精神という目に見えない規範が、人の行動に制約を掛けていたのである。その精神が、従来の日本社会の基底にあった。

 

 ところが、小泉政権以降の新自由主義(例えば、「1本の金のなる木」を既得権益の数社が分けあっていた規制を撤廃し、新規参入者を認めて競争させ強者が、それを総取りする)政策推進以降、「弱肉強食」時代が到来した。

 

 それ以後、現在の所謂「アベノミクス」(例えば、上記に加え、さらにそれを深化させて、企業経営上層部と下層労働者との利益分配率にまで大差を設ける)という経済政策により、人の利己心の現れが、日本社会全体を覆っているように思われる。

 そしてこれを、「グローバリズム」(例えば、外国の経営者は、1億円を超える報酬長者がざらにいるのは常識。他方、下層労働者は、低賃金でゆとりなき生活を強いられても当然)ということで正当化さえしている(注2)。

【格差社会】貧乏人とお金持ちの二極化が進む。豊かになるための3つの方法 - YouTube

森永卓郎が語る日本の格差社会の仕組み・・・ 森永卓郎が徹底解説! - YouTube

3/25/19 森永卓郎 - YouTube

 

 新自由主義グローバリズムの考え方自体が、超格差社会を所期しているのである。

 しかし、そうは言っても、その波が日本に押し寄せて来ているのは間違いない。

 それをいくら批判しても、その波は止められそうもない。

 そうすると、そういうグローバリゼーションの中で、一個人として、如何により良く生き抜いて行くかが、喫緊の課題になろう。

 

格差社会を生き抜く一つの術

 現在日本は、次の記事によれば、格差社会を超えて、超格差社会(階級社会)にまで至っていると、言われている。

「超格差社会」ニッポンの現実~この国には「配当だけで年収3億円以上」が40人もいる!(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/8)

あなたはどの階級? 「格差社会」から「階級社会」に落ちる日本 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

   

 そういう超格差社会の中で生き抜く力は、痛い(不愉快で嫌な)思いを苦にせず、思うところを実行に移すしかないと考える。

 そして、例え、それが小さなことでも、己自身が果敢に立ち向かうしかないようだ!例えそれで失敗しても、くじけず何度でも方法を変えたり等工夫して挑戦するしかないようか!

 

 ユメユメ後ろ向きになったり、あまつさえ、鬱病になったりしては、今の世は生き抜けないようだ!自殺に至ってはもってのほかである。

長寿大国のこの国は、世界有数の自殺大国でもある(幻冬舎plus) - Yahoo!ニュース

 

 それでは、そのために、どうしたらよいだろうか?

 一つには戦い方の問題がある。一人では限界があることも間違いない。

 やはり、そのための相談者や協力者等の仲間が欲しい。戦う相手が強者であればある程、なおさらである。

 以前、「同類相憐れむ」(同じような、苦しい境遇のある者同士は、お互い親近感を覚えるものである)という言葉を、非常に嫌悪した者がいた。しかし、仲間づくりに絶好の言葉であり、明日に向かっての戦いの為に向けた癒し感を与えてくれるものでもある。嫌悪した者は、弱者の結束を極端に忌避する者であった。

 

 これに対し、当然に、企業経営者等強者側は、弱者同士の連帯への分断作戦を強行するであろう。新自由主義政策以降、上記分断作戦を成功させ、多くの弱者が孤立化(loneliness)して鬱病に追込まれているかのように思えてならない。しかも、金の力を背景に、弁護士や社会保険労務士等専門家の力を借りて、巧妙な手口を使っているとの、ゲスの勘ぐりさえ持たざるを得ない側面もあり得ようか?

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/545/087545_hanrei.pdf

 

 専門家等の力を借りられそうもない労働者にとっては、打つ手がないようか?

 果たして、それで良いのだろうか?

 この場合、嫌な思いもしよう。不愉快な思いにもなろう。将又、痛い思いもしようが、自己防衛するしか方法がない。

 

 まず、そのための第一歩として、スマホ等の秘密録音で証拠保全する必要があろう。勿論、使用者側との会話のやり取りの逐一メモを取ることも必要。とにかく日々の記録を残すことが肝要である。

 さらに、Tweet投稿等によるSNSやブログ活用も重要であろう。

 あわよくば、「はてブ市民」の声援等の力添えが得られれば言うことはないのだが!

 使用者側は、必ず、言った言わないというような白を切るに相違ないから。

 

 最終的には、労働基準監督署や裁判所の公的機関に救済を求めなければならない。しかし、証拠がなくては勝敗は目に見えている。ここまで来ると、心身面や経済面共々、心労等苦痛を伴うのが通常である。

 

 それゆえ、戦う気力や体力を醸成し温存するためにも、普段から痛み等を実地体験していれば、耐性力もつき、多少苦痛が軽減される。つまり、痛みの(嫌な不愉快な)思いをする実地体験は、荒んだ現代社会生活を生き抜く耐性力を、身に着ける術にもなろう。

 

大学生等学生に向けての一つの提言 

 温室気味な大学等の学校と違い、外部の現代社会は、生き馬の目をくり抜く別世界のような一面もあろうか?

 ブラック企業、然り、ブラックバイト事例、然り、リストラは当たり前(以前の日本社会では、全く考えられないような社会事象)なのだ!

45歳以上に対し、早期退職・希望退職者募集の嵐が吹き荒れているということ - orangeitems’s diary

希望退職の募集で「45歳以上」が分かれ道になる理由「氷河期世代でビジネス経験が薄いのに人がだぶついている」 - ネタりか

 

 学問ばかりの座学だけでなく、学校在籍中のアルバイトは、社会へ通じる実地体験への訓練と捉えれば、社会に出てから役立つことは必定であろう。積極的に色々なアルバイトを経験するべきである。

 その職場で、嫌な思い、不愉快な思い、痛い思いをすれば身の肥やしになるだろうから。

 

 そして、それらの経験により培われた耐性力は、鬱病防止策にもなり得るかも知れない。

 加えて、仲間の支援も然り、SNSやブログの活用然り、対抗策の武器(スマホ等)使用も然りであろう。いずれも鬱病対策防止策に資するものである。

 しかし、それらを駆使しても効果がないならば、鬱病になる前に会社を即刻辞めることが正解か?

 とにかく、あらゆる選択肢を試みることが肝要であろう。

 座して死ぬ(退職)より、色々行動した上で死んだ(退職)方が、まだましであると思う。

   それにしても、なかなか「言うは易し行うは難し」の感はある。しかし、将来起こる可能性のある究極的事態に遭遇した時は、考えて見る余地はあろう。

 現に、耐性力を身に着け、実際に戦って、退職を免れたと言うブログ記事も見ているから。

  

(注1)

 「マイナスサム」とは、奪い合う一定の財に付加価値を付けることもなく、費用分だけがマイナスになること。

民事訴訟は究極の「マイナスサムゲーム」!? – アゴラ

(注2)

 グローバル資本主義の弊害として、格差拡大を挙げている。

グローバリズムが世界を滅ぼす | 本の要約サイト flier(フライヤー)