諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

狐につままれたようか「evidence(証拠)⇨fact(事実)⇨Judgment(判定)」?

 一作日は終日雨だったが、昨日、今日と晴れ。昨朝は霜は降りていなかったが、今朝は霜が車のフロンントガラスをびっしり覆っていた。

 この最近、買い物で気掛かりなことが多いよう!

 どんな小さなことでも気に掛けるのが使命と考えている「買い物ウォッチャー」として、どう対処したら良いか分からないことがある。

 

(スーパーでのレジ・ミス) 

 

 買い物で「evidence(エビデンス)」となるのは、レシートが重要である。そして、商品の値札である。それらから得られる各商品値段の「fact(ファクト)」が食い違っていたら、間違いだから差額を返金という「Judgment(ジャッジメント)」に至る。

 しかし、通常、そこまで照合する人は少ないだろう。

 

 今回、前回とは異なるスーパーでの買い物の内で、インスタント焼きそば2個買い150円なのを、178円にバーコード・レジ打ちされていた。この場合、店員さんからのレシートと値札を確認してもらう作業が行われないと、間違いだから差額を返金せよという「Judgment」にはならず、返金されない。勿論、今回も差額は返金してもらった。煩わしいことである。(-_-)

 

 その場合、各「evidence」の照合により、「fact」が正しいか否かが明白になり、よって、「Judgment」が下される。トラブル解決は、ある意味容易である。

  

 しかし、次の場合はどうであろうか?

 あり得ないことが起こったような不思議?なことがあった。

 

(セルフ式ガソリンスタンドの給油機は正常か?)

 

 この最近、ガソリン価格が値上がりに転じたというニュースを聞いて、あるプリカ使用専用のセルフ式ガソリンスタンドへ満タン給油をしに出向いた。

 8割程まだガソリンは残っていたが、今後の予想として、少しでもガソリン値上上昇に対処するためだった。

 

 予め購入していたプリカを使用しての給油である。満タン給油の機械表示のボタンを押しながら操作した。給油ノズルを車の給油口に差し込もうとした際、なぜかノズルから油が少しこぼれて来た。慌ててそばにあったタオルで、車の給油口付近についたガソリンを拭き取った(危ない!)。

 

 給油が終わり、プリカを抜き取るとその記載残額は減少していた。しかし、後になって気付いたことだが、普通ならある筈の納品書を受け取った記憶がない。

 しかも、帰宅途中、満タンになっていたと思われる車のガソリンメーター表示が満タンになっていないではないか!

 今まで経験したことはなかったことが起きたようだ!

 気のせいか?と何度気に掛けたことだろう!(?_?)

 

 その場合の「evidence」として、❶プリカ使用の残額記載と、❷車のガソリンメーター表示が満タンでないことが上げられる。しかし、❸もともと車にどれ程の量のガソリンが入っていたかの「evidence」は、当方の言い分だけしかない。

 ❶はプリカから明白である。しかし、❷につき、満タンでないことは、車のガソリンメーター表示を見れば明白であるが、そもそも満タンに入れたという「evidence」が、当方の言い分しかない。

 従って、セルフ式ガソリンスタンド給油機の異常があれば別にして、そうでなければ、「fact」⇨「Judgment」へと至ることはほぼ不可能に近い。

 つまり、ノン・リケット(non liquet)状態(真偽不明)になることは、ほぼ確実なのである。この場合、返金云々の問題すら起り得ない。

 

 通常人は、セルフ式ガソリンスタンド給油機が正常でなく、給油していないのに、なぜかプリカの残額が減少しているとは、到底考えないものだろう。余程、度重なる苦情があってから、初めて給油機が異常ではないかと声を上げそうなものである。

 

 給油後すぐに気付き、店に申し込めば、給油機が正常か否かの確認ができたのに、時すでに遅しの感になってしまった。帰宅途中からでは諦めの境地にならざるを得ない。

 それにしても、通常、給油機が正常か異常かを考える者はいないだろう。

 それでもすべてにわたって機械が異常なら分かりやすい。しかし、給油してないのに給油したことになっている部分的異常があるような場合は、誰も思いを馳せないだろう。

 そこが、不思議?なのである。勘違いなのだろうか?

 

 給油機が正常か否かを申し出ること自体、はばかりがある中、ましてや、そのため満タン給油した筈が、そうなっておらず、プリカの残額だけが減っているということを言う者は少ないだろう。但し、ガス欠の場合は別だが。

 

 翌朝に、当方とて、疑問解消確認のため、当該ガソリンスタンド店に、電話で、スタンド給油機が正常か否かを尋ねてみた。

 すると、店員さんからは、正常だとの返答があった。これまで、異常等の申出ではなかったとのことである。(>_<)

 これ以上どうしようもない。

 

 何か、狐につままれたような思いでいっぱいである。(?_?)

 

(ガラポン抽選玉の出方)

 

 次に不思議?なことは、今週火曜日、スーパーで実施されたガラポン抽選会のことである。2回抽選できるところ、1回しかガラガラを回していないのに、既に、はずれ玉1個が出ていたのである。回す際に気付かずに出たのか、それとも別の要因かは分からない。

 

 フランク永井が歌った、(^^♪  「鳩が飛び出す公園の、銀杏は手品師」  (^^♪ 云々の、「公園の手品師」(作詞宮川哲夫・作曲吉田正)に出会った思いである。

公園の手品師 フランク永井 - YouTube

 

 2個のはずれ玉の「evidence」は認めるも、1回しか回していないのに、なぜ2個あるのかは不明である。例えこれを主張しても、既に1個は出ていると言われれば、例え、おかしいなと思ってもどうにもならない。勘ぐれば切りがない。現に、女店員さんから既に1個玉が出ていると言われた。当方にその認識がないだけなのだろう?

 

 どうでもよい、つまらないものでも、合点が行かない!

 しかし、合点が行こうが、行くまいが、「evidence⇨fact⇨Judgment」という図式自体は、成り立ちそうにもない!従って、ガラポン抽選を再度やり直させるということはできない。

 

 まさに、狐につままれたようか!(?_?)

 

(不思議への対処は困難) 

 

 そうすると、以上の例から、「evidence」から「fact」を明らかにし、「Judgment」することは、日常的に、意識し続けなければ困難な場合が多いようなことが分かる。しかし、それは煩瑣で難しい。しかも、おそらく多くの人は、そのことを意識して行動していないのでなかろうか?

 もし、当方に、対象認識・記憶力(認知機能)の劣化の疑いがあるとすれば、ウォッチャーとして不適格者とならざるを得ない。しかし、これまでは、スーパーの買い物で、一定の成果を上げているので、劣化が進んでいるとは思わない。

 

 今のご時世、普通一般的に、「はい。ことほど左様に」というようなことは、少ないような気がする。

 当方から軽々に物を言うと、返り討ちに遭いかねない。尋ね方の問題もあろう。

 それにしても、稀ではあるが、対応の悪い店員さんに出くわすと腹が立ち、ムッとするもの!返り討ちに遭いそうな人の多くは、対応の悪い店員さんに見られるようか?

 やりとりの結果次第では、口論に発展する場合がなきにしもあらず。それは極力避けたい!クレーマーでないのに、そう受け取られる可能性があり得る。

 

 不思議?なことを、不思議なまま放置する所以は、このところにもあるようか?

  

 以上述べたことについて、そんなことで、いちいち目くじら立てるようなことではないとはいえ、「買い物ウォッチャー」(塵も積もれば山となる、又は、蟻の穴から堤も崩れるの諺を、実践したい水先案内人)を自負する身としては、気にせざるを得ない。

 

 しかし、不思議なことにはどうにも対処しようがない。予め計算されたものでなく、予測を超えて突発的に起こるものだから。

    I  doubt  the  evidence  of  my  senses  !?weblio)

 

 この直近、なぜか「狐につつまれたような不思議?なこと」を、何と多く体験することか!(>_<)