今日は朝から快晴なのに、清々しいと言えるのだろうか?空も薄青く、うっすらと寒い晩秋。
最近ブログ記事ネタに困ることが多く、以前のような矢継ぎ早の記事掲載ができなくなった。先週22日に真夜中の満月を撮影し、これに関した記事を書こうと思ったところ、意味のある記事が思い浮かばず、書けない。
とりあえず、満月だけは撮っておこうとした。
ところが、真夜中の満月撮影に、カシオのデジカメ(EXILIM EX-H60)24倍ズームで満月を撮ろうとしたものの、なかなかうまく行かなかった(注)。
何度、挑戦したことか!
両手のカメラ固定が不充分で、どうしても手振れして、被写体が真っ暗闇になってしまった。
そして、悪戦苦闘の末、ようやく撮影できたのが、次の写真4枚である。
(ズーム倍率をやや低くして撮影)
(手振れのあるズーム撮影)
(丁度、雲がかかった時のズーム撮影)
(ズーム最大限のラッキーな撮影。但し、回転編集したもの)
満月に何の意味があったのか?
その時は、ただ、光り輝く美しい満月を撮りたかっただけ。しかし、記事を書くのに何かないかと探してみると、11月23日が、暦上で満月の日になっていた。これも、後に知ったこと。
また、運良く、朝日新聞のみに「満月」に関する記事が掲載されていた。
それは、平安朝時代・最絶頂期の藤原道長(紫式部作「源氏物語」主人公・光源氏モデル説も?)が、「満月を眺めて和歌を詠んだ日から一千年目」が、今年の11月23日に当るというもの。
旧暦と新暦の違いがあるので、記者は専門家の見解を訊いて、よくもこのような記事を書いたものだと感心する。
記事にしてなんぼの世界という記者のプロ哲学の表れか?
いつもかつも、良い記事ネタに有りつけるか分からない中、何か良いネタはないかを絶えず考えていなければならない宿命でもあろう?
さらに又、当該記者の心中を穿って憶測するに、平成時代も後残りわずかのところ、今は、平成の最絶頂期とも重ね合わせることを考えた上でのことなのであろうか?
最後につまらないことを付言すると、藤原道長が眺めた満月は京都、記者が眺めた満月は東京で、満月の見え方も、極僅かながら地域差で異なるのかな。当該記者の言わんとする趣旨とはかけ離れるけれど・・・。
(注)今年5月9日、カシオは、コンパクトデジタルカメラ事業の撤退を発表した。
カシオのファンとしては、残念な気持ちで一杯である。
カシオ、コンパクトデジカメ撤退 23年の歴史に幕:朝日新聞デジタル