諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

やっと咲き出した芍薬の花!

  この二日連続雨だったのが、今日は晴れ。最近、同じような天候状況が続いている。

 丸く大きなままだった芍薬の蕾が、ようやっと、開花し出した。牡丹の半分くらいの大きさである。

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 日当たりの関係か、赤い芍薬は、白い芍薬より開花が遅く、蕾のままなのがたくさんある。

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 白色の方が、赤色より、見栄えが良いような気がする。

 拡大写真で見ると、花の形等については、牡丹とそんなに見分けがつきにくい。

 次の記事も、芍薬の花と牡丹の花は、「よく間違得られ」ることがある、と言っている。さらに、店では、芍薬は切り花として、牡丹は鉢植えで売っているとのこと!

https://ar-flower.com/shakuyaku1128/

 次の記事には、牡丹は「木」なのに対し、芍薬は「草」。牡丹は「百花の王」に対し、芍薬は「花の宰相」とある。

 花の大小の相違が、牡丹が「花王」に対し、芍薬は「花宰相」なのだろうか?

https://tenki.jp/suppl/yasukogoto/2015/05/24/3831.html

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」の言い伝えは、ほとんど、どの記事も取り上げている。これらの花が、美しい女性を表現する例えとして使用されているとのことである。

 次の記事は、それらのことを解説している。

https://allabout.co.jp/gm/gc/220754/

 芍薬は「香りも姿も、まさにすらっとした美しい女性そのもの」とのこと。

 しかも、これらの花が、次のとおり、「リレーするかのように順番」に咲いて、「座っている美人が立ち上がって歩き出すという流れにそっており、姿かたちのみならず、立ち居振舞いも美しいのです。」と!

 ❶牡丹(4月末~5月初め)⇨❷芍薬(5月中旬~5月末)⇨❸百合(6月~8月頃)

 しかし、この言い伝えの花の順番は、少し考えて見ると、時系列的・論理的に少し違和感がもたれる。

 先の記事は、当然のごとく表現(座って、立って、歩き出す姿が美しい)しているものの・・・。

 それは、花咲く時期の順番と、例えられる美人の行動形態である。

 花咲く時期の順番で言うなら、言い伝えは、「座れば牡丹、立てば芍薬、歩く姿は百合の花」となる筈であろう。

 又、例えられる美人の行動様式から言っても、「座った状態で、立ち、そして歩く」のが通常であろう(先の記事もそのように言っている)。

 「立って、座って、歩く」ということは、普通はできず、「立って、座って、立って、歩く」という行動様式になろうか。

 結局は、語呂合わせとして、言いやすかったからなのだろうか?

 それとも、美人の立ち振る舞いの先頭に、すんなりと立った華麗な優美さを強調したかったためであろうか?

 そういうことは、理屈抜きで、よくあることであろう。

 「座れば牡丹、立てば芍薬、歩く姿は百合の花」の語呂合わせでは、なにかしっくりといかないような気もするので・・・・

 なお、芍薬を題材とした有名な曲が、何かないかと探してみたけど、見つからなかった。

 あるのだろうか?