諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

楽しそうに思えた「雀(すずめ)の学校」って!

お題「今日の出来事」

 

 今日は晴れ。台風が過ぎ去った後の猛暑日

 

 今日早朝、珍しく、田んぼの道路際にたくさんの「雀」が、楽しそう?に群れていた。(^'^)

 その様子は、後掲写真(4枚)のとおりである。

 

 次の記事によると、スズメが都市から姿を消したとのことだが、確かに、田舎でもその数は少なくなったようである。

 田んぼの宅地化が進む昨今において、それは当然であろう。

都市からスズメが姿を消した理由と、私たちが今すぐできる3つのこと – Discovery Channel Japan | ディスカバリーチャンネル

近頃スズメを見かけなくなった。何故だろう? - びお編集部 | びおの珠玉記事 | 住まいマガジン びお

 

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 「雀」の群れを見ていると、幼い頃に「すずめの学校」を歌わされたか、又は聴いたかいずれかの記憶がある。その意味も解らず、楽しく歌ったような記憶がどこかかすかに残っている。そして、現在、その歌の意味を調べ、それを知って愕然としている。(>_<)

 

 その曲とは、1921年(大正10年)12月7日に創作された「雀の学校」(作詞/清水かつら、作曲/弘田龍太郎)である。

 清水かつらは「緑のそよ風」等の著名な作詞家であり、また、弘田龍太郎(現・東京芸大出身)は「鯉のぼり」「浜千鳥」「靴が鳴る」等の有名な作曲家である。

雀の学校 童謡・唱歌 歌詞と試聴

 

 歌の意味は、戦前に作曲された歌であるから当然と言えば当然であろうが、これまでの彼らの創作した物悲しい歌とは、似つかわしくないように思える。

 それは、どういうことかって?

 これまでの彼らの作詞や作曲は、個人的なことを歌う曲が多かったのに、なぜか、雀の学校は様相が異なっている。

 

 それは、次の記事が物語っている。つまり、「雀の学校」は、軍国主義教育下の学校を指すとのことである。そして、その問題となる作詞箇所は「鞭を振る先生」と、そして幼児に教育の一貫として一様に強いる「チイチイ(雀の鳴き声)パッパー(雀の羽ばたき音)」であるそうな!そう言われてみれば、確かにそうである。

 今日では、とても楽しく歌える童謡ではないだろう。

 そのことに関連していると思うが、確か今でも、森友学園問題で新聞種になったことがあったようだし、「美しい国」をしきりに強調する高名人もいたようである。(-_-)

雀の学校 - Wikipedia

童謡「すずめの学校」と童謡「めだかの学校」/歌詞からうかがえる、時代背景!/童謡の世界を見ても、時代の流れが分かります!!!: いづれの御時にか・・・

 

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 上記「雀の群れ」の写真を見ると、楽しそうに思えるのだが、気のせいだろうか?しかし、彼らにして見れば、必死に生きているんだろうが・・・!

 それにしても、童謡歌「メダカの学校の先生」に歌われているのと同様、上記写真のうち、どの雀が「学校の先生」なんだろうか?どうにも見つけられない。

 ひょっとして、違う方向を見ている雀なのかな?(*'ω'*)