諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

夏休み自由研究で、山の中を散策中、落命しかけた少年時代の不可思議な想ひ出の正体とは?

今週のお題「人生最大の危機」

お題「これって私だけ?」

お題「今日の花」

 今日は晴れ(予報はそうだが、曇り気味でもある)。かなり暑い。

 大型で強い台風10号(クローサ)が、14日以降、西日本に上陸し、日本全土を席巻する最悪の予報進路である。

大型で強い台風10号 お盆の14日以降、西日本に接近・上陸のおそれ(ウェザーニュース) - Yahoo!ニュース

 

 

 

はじめに

 

 今週のお題は「あのピンチを振り返る」ということである。

 数多く経験して来た人生のピンチの中でも、とりわけ物語性のありそうなネタ記事になるものと言えば、どうしても、小学生時代に起きた、身の毛のよだつ想い出話に尽きようか。

 何分、昔のことなので、記憶も断片であり、あたかも、イ・ビョンフン監督の「韓国大河ドラマチャングムの誓い等)」の脚本のようになりそうである。つまり、脚色もあるということである(まあ、ひらたく有体に言えば、史実とは異なる「嘘」もあるということ!)

 その話の経緯を信じるか、信じないかはあなた次第であろう。ただ確実に言えるのに、結果のみは、紛うことのない真実である。

 

時代背景

 

 太平洋戦争敗戦後まもなくして、1950年6月25日、北朝鮮の「金日成」率いる軍隊が、事実上の国境線38度線を越えて韓国に侵略した。これにより、朝鮮戦争が勃発した。

 この頃、敗戦で疲弊した日本はこの「朝鮮特需」(1950~55年)で経済再建の気を掴んでいた。これは、「特需景気」と言われている。

 その後、1954年からの神武景気、1958年からの岩戸景気、1962年からのオリンピック景気という高度成長期を迎え、その後、日本は奇跡の経済発展を遂げるのである。

【特需景気と高度経済成長の違い】簡単にわかりやすく解説!!朝鮮特需やバブル景気など | 日本史事典.com

 

 しかしながら、昔も今も変わらないのが、それら景気の莫大な恩恵を受けるのは、大部分が大都市住民や一部の富裕層であった。地方の田舎に住む多くの庶民(農民等)にとって、飢餓はなくなっても、豊かな生活は望むべくもなく、つつましやかな生活を強いられていた。

 まあ、昔の人は今と違って、「金満主義」という考え方はなかったのであろうが。

 所謂「田舎の香水(人糞入りの肥溜めから発せられる臭い匂い)」も、周辺には、日常茶飯事的に蔓延していたし、普段、馬車も町を闊歩した時代である(馬車に引かれたパン売りのメロンパンを買った記憶がある)。

 

 当然、昔から言い伝えられた寓話は、親等から、幼心に植え付けられていた。その中に、例えば、「子取り、又は隠し神(人さらい)」、「美女に化けた狐」、「狸のお化け」や「雪女」等の話がある。

 とりわけ、❶「狐火夜陰に野原などで火が点々と見えたり、消えたりする現象/ブリタニカ国際大百科事典)」、❷「狐の嫁入り暗闇の中に狐火がいくつも連なっているのを、嫁入り行列の提灯に見立てたもの/大辞林第三版)」、❸「狐日和照っているかと思えば雨が降ったりするような天気/デジタル大辞泉)の語彙に代表される「狐」の話には、おどろおどろしさを感じたものである。

 さらに、❹家人が死ぬと、その屋根から「狐が天に舞い昇って行く」という話も聞いたことがあった。

 

小高い山で「花鳥虫?(風)月」を対象として自由研究する、少年「P太郎」のある日

 

 今は昔。とある日の午後過ぎ、P太郎は、仲間の少年数人と一緒に、近くの小高い山に登った。その目的は、夏休みの自由研究のためだった。途中、草むらに隠れた「肥溜め」があり、蝶々取りに夢中になって落っこちそうにもなった。さらに近くにを見つけて、追っかけたりもした。

 そうこうするうちに、仲間の少年らとはぐれてしまった。仲間の名前を呼んだりして探したりした。しかし、応答はなかった。

 

 しばらくすると、帰り道が分からなくなってしまっていた。せっかく、珍しいアンゲロニアの花を見つけ、ハグロトンボ(ホソホソトンボ)も観察した。おまけにも山の上の小さな田んぼで発見した。太陽はまだまぶしかった。また、晴れているはずなのに、突然小雨が降ったりもしていた。狐日和だったのか。

 

(以下の写真5枚は、当時の想い出擬写の映像)

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 (アンゲロニアの花)          (ハグロトンボ)

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仲間の少年数人が突如出現

 

 夕方も近づくにつれ、P太郎は途方に暮れ、山道をウロウロしていると、突然、木立の影から、仲間の少年らが駆け寄ってきた。動きが極めて敏捷であった。P太郎は、ホッと安心した。しかし、どこか、少年仲間らの動作等について、気にかかるところがあった。

 彼らと一緒に、獣道のような山道を少し下る頃には、日が暮れかかろうとしていた。そして、帰る道すがら、ふと山のかなたを見ると、狐火がかすかに見えたようだった。P太郎は「狐の嫁入り」なのかと、うすら寒さを覚えた。

 

 仲間の少年らに、この道で帰れるのかと案じて尋ねる頃には、辺りは少し暗くなり始めていたようだった。空を見上げると、次のような三日月が出ていた。

 

山道を下りる帰りすがらにて、仲間の少年らとの会話 

 

P太郎(🐷)

 今日は、トンボ等の夏休み自由研究の調査で成果があったね!

少年仲間A(😾)

 でも、鳥を捕えられなかったのは、残念だコン

(🐷)

それを聞いて、可笑しなことを言うなと思いつつも、受け流しながら

 観察できれば、それで良かったのでは?

 それよりも、早く、山を下りようよ!

少年仲間B(😸)と(🙀)

 別に急ぐこともないだろう!ゆっくり帰れば良いよ!

 むしろ、急いで山道を下りると危ないねコン

(😾)

 疲れたので、あの木立の間の草地で休もうよコン

 (ここで、P太郎らは木立の間の草地で休む。それにしても、P太郎は仲間の少年らの言葉の語尾にコンが付くのがやけに気になり始める

( 🐷)

 先程来からコンコン言っているように聞こえるのだが、どうして?

それに対して、少年ら仲間は異口同音に怒って言葉を発する

(😾)(😸)(🙀)

 P太郎の気のせいだろう!

(😾)

 この頃は、小山にも木や森がなくなり、宅地開発で家々が建つようになって、小鳥などの動物もいなくなったよ!自然破壊には困ったものだ!

 「共生」という考え方がなくなったのだろうかねぇ~?

(😸)

 そりゃ、そうだよ!今の時代は、金儲け第一主義で、自然との調和という考え方が廃れている。これでは、将来いつかは、しっぺ返しを食らう可能性もあるよね!  特に、緑がなくなっているのが問題だ!新築アパート等を見れば分かることで、そこに、緑は一つもなくなっている。まさに砂漠化の見本品であろう。

(🙀) 

 相続税対策とか、資産の有効活用とか言って、田畑等の緑を宅地化するのは良いにしても、ある程度の木等を植えて自然を残して欲しいよね!最近、緑がなくなり温暖化の影響で、春と秋がなくなったようだ!住みにくい環境になったよ!

(🐷)

 そういえば、トンボや鳥も、以前に比べて少なくなったね!温暖化により、自然破壊が影響しているのだろうか?

 大都会の東京は、もっと酷くなっているだろうねぇ~! 

 

そんな話をしているうちに、どこからか、かすかに「砂漠」の歌が聞こえて来るかのようだった。確か、次のような曲に似ていたように記憶しているんだが、違うかな?

6642 SC ♪ 東京砂漠 ☆ 内山田洋とクールファイブ ◇ 180102 - YouTube

 

 すると同時に、辺りは暗くなり、近くで「狐の嫁入り」が目に入るようになった。

 P太郎は、少年の仲間らに「早く帰ろう」と急かした。すると、仲間の少年らはいつの間にか忽然といなくなった。P太郎は一人ぽっちになり、山道を駆け下りようとした。山の中腹から下の方を見ると、大きな家の瓦屋根が見えた。P太郎は少し安心した。

 

 ところが、安心したそのつかの間、何とその瓦屋根のてっぺんから「大きな狐」が大空に向かって舞い昇っているのが見えたでないか!P太郎は腰を抜かした。

 言い伝えどおりのことが起こっていたのだ!人が亡くなったのか?

 確か、その大きな家には、年老いた主人が住んでいたはずである。

 びっくり仰天したためか、P太郎は真っ逆さまになって、山から転げ落ち、体をしこたま打って気を失いかけた。

 

「金玉稲荷神社」での出来事

 

 P太郎が落下した場所は、神社の境内のようであった。頭が朦朧としながら前方を見上げると、「金玉稲荷神社」と書かれた鳥居が見えた。

 どう読むんだろうか?P太郎には、読み方が分からなかった(読み方は、当ブログ記事「ガラポン抽選で、人生初の一等賞!」を参照のこと)。

 そこでは、今まさに、「狐の嫁入り」儀式の真っ最中であった。

 すると、どこからか、次のような心地良い軽快な音楽が聞こえてきて、ひらひらする赤い衣装をまとった何匹かの狐が、境内で踊っている風であった。狐らの踊りと音楽が完全にマッチしていて、うっとりとする見心地・聴き心地になった。

ベルリオーズ「幻想交響曲」第2楽章/ロリン・マゼール - YouTube

 そして、この美しいメロディーを聴いている等するうちに、P太郎は頭を強く打ったこともあったせいか、やがて、気を失い、生死の境を彷徨っていた。

 

現実と夢との狭間(交錯の中)で

 

 どこからともなく、「P太郎!」と誘う声が聞こえた。頭が、依然ボーとした状態であった。P太郎は寝床に横たわっているのに気付いた。

 どうも、2日間?気を失っていたらしい。

 そういえば、確か、道路上で少年仲間らと遊んでいた時、トラックに跳ねられたことを思い出した。道路を行き交いして遊んでいる時、走行中のトラックに跳ね飛ばされ、気を失ったのである。一瞬の出来事だったので、具体的にどういう状況で事故に遭ったかは覚えていない。

 轢かれなくて、跳ね飛ばされたのが幸いし、生死の境を分けたようなことだったと記憶している。跳ね飛ばされたから死なないということではない(もっとも、頭を強く打ちつければ死ぬ確率は高い)が、トラックに轢かれるよりは、まだましだったということになろうか?九死に一生を得たのである。

 

 それにしても、今つらつら思うに、あの狐との恐ろしげな出来事は、夢だったのであろうか。しかし、どこかで、似たような実体験をしたように思うんだが、気の迷いだったのかも知れない?

 

おわりに

 

 勿論、「P太郎」とは、私自身のことである。高度成長期の日本は、山や田畑をつぶし、分譲住宅や新興団地をたくさん作った。当然、自然破壊が行われ、狐などの動物は住処を追われた。その傾向は、今も顕著であり、特に昨今のサブリースによる相続税対策のための田畑を潰した新築アパート作りは、地域の砂漠化に拍車をかけ、極限化している。木を植えず、緑をなくしているからである。温暖化促進に一役買っているよう。

 

 昨今の異常気象や大災害は、これらの人為的所作等がもたらす結果かも知れない。我が町の田舎も、今年の4月に市街化区域に編入され、新築アパート建設が急増している。勿論、田んぼを潰してである。これまであった、たくさんの緑が失われている。

 今や、田舎から、森永卓郎教授が再三指摘する、所謂「トカイナカ」に変貌しようとしているのである。

 

 「自然との共生」「調和的な経済発展」「私益より公益重視」「街の緑化運動」等という、かって声高に叫ばれた標語が、今や死語となり、自然などの環境破壊が促進されているよう。

  以前に流行った次のような歌も、いずれは、聴かれなくなるという「死語曲」の可能性も否定できないかもね!(>_<)

日本の童謡 みどりのそよ風 - YouTube

森の水車/童謡 - YouTube

野に咲く花のように.wmv - YouTube

 

(追記)

 本日午後8時15分頃、南方に見えた「月」の満欠

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