諦観ブログ日記

ー Que Será, Será(ケセラセラ)ー

ついに間近な、しかも一瞬とはいえ、「ヒバリ(雲雀)」撮影に成功!(^^)/

お題「今日の出来事」

 

 今日はどんよりとした曇り。今にも雨が降り出しそうである。

 

 今年、「ヒバリ」に注目して以来、間近では見たことのない、その「ヒバリ」を念願叶って初めて撮影できた。その姿は、次の写真のとおりである。(^^)/

 

f:id:grk1:20190702125858j:plain

 

 我が家の北玄関庭先約4~5メートルの田んぼと道路の際に、「ヒバリ」が舞い降りてくれた。幸運だった。これまでは、何十メートル先の田んぼの畔に舞い降りるのを確認できても、その姿を見失うのがほとんどであった。

 上記写真からも、見失うのは無理もないということが分かろう。「ヒバリ」の色は枯草と完全に同化している保護色なのである。

 これまでも、偶に近くの道路と田んぼの際に舞い降りることはあった。しかし、カメラを持ち出し、撮影しようした時には、既にいなくなっていたのである。

 今回は本当にラッキーだった。これまで現認した中で、一番近くに、かつカメラを持ち出す時間の猶予を与えてくれるまで、その場所に留まってくれたからである。

 しかし、案の定、一度きり、カメラ撮影をしたのみで、すぐにいなくなった。

 

 これまで「ヒバリ」について、5月5日付けと同月8日付けの各ブログ記事で取り上げてきた。それらは、いずれも、空を舞う「ヒバリ」の気高さを主なネタにしたものである。

  例えば、日本歌謡界の女王「美空ひばり」さん、メンデルスゾーン作曲の「おお、ひばり」やヴォーン・ウイリアムズ作曲の「揚げ雲雀」等のことである。

 

 ところが、今回で3度目の「ヒバリ」の話題を取り上げようとした際、あの気高いと思われた「ヒバリ」像について、何と、ヒバリが金の取り立てのため、しきりに「金返せ」と叫んでいるネタを見つけたのである。

 このことを知って、「ヒバリ」に対するこれまでの崇高な想い入れが、一気に変わったような気がした。(>_<)

 

 それは、どういうことかって!

 それは・・・シンガーソングライター「谷山浩子」さんが歌っていた「雲雀(ひばり)」(作詞・作曲谷山浩子/1978年アルバム「もうひとりのアリス」より)の歌詞である。

「雲雀」(ひばり) 谷山浩子 歌詞付き - YouTube

 

 しかし、この歌詞からでは、何故、「ヒバリ」がしきりに「金返せ」と叫んでいるのかが分からない。

 調べてみると、そのネタの詳細は、「まんが日本昔ばなし」の中の、「お天とさまとひばり」(1958年「日本の民話13」が原典/1986年放送)にあるよう。

 その話の内容は、次の記事の通りである。

まんが日本昔ばなし〜データベース〜 - お天とさまとひばり

 

 つまり、一言でいうと、「もぐら」に騙されているのにもかかわらず、「ひばり」は「もぐら」の言辞を信じ込み、「ひばり」がいつまでも、「お天とさま」に対し、金の取り立てのため「金返せ」と叫び続けているというのである(しかし、話の根本は、むしろ「もぐら」にあり、「もぐら」が昼間にもかかかわらず、何故、地中生活を送らねばならなかったのかのようであろうか)

 

 それにしても、「ヒバリ」に関して、このようなことがあるというのも、面白い発想話であろうか。でも、この話は、「ヒバリ」にとって酷なような気もする。

 いちがい、かつ生真面目で信じ込みやすい鳥であるかどうかは不明であるも、スズメやツバメと異なり、生存競争の熾烈な野原で巣作り・子孫繁栄をするには、天敵による格好の餌食になりやすい大きな弱点を有している。又、人による庇護があるわけでもない。

 天敵から逃れる術は、保護色であることと、すばっしこさ等のしたたかさでないかと思われる。でないと、生き抜くのは困難であろう。「もぐら」の言辞を信じ込むばかりでいたのなら、「ひばり」は、どういう生き抜く術があるというのだろうか?

 キジバトのように、年に何度も産卵する(冬でも)という子孫繁栄術があるわけでもないだろうに・・・。ただし、年に2回産卵するようである。

ヒバリ - 河川生態ナレッジデータベース

 今回、「ヒバリ」の撮影に苦心したものの、そのこと自体が、「ヒバリ」の生存術を垣間見せられたように思えてならないのだが!(^-^;